イエスのカリタス修道女会
 

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[20] 修道会の創立へ

 


チマッティ神父とカヴォリ神父


 カヴォリ神父は救護院設立と同時に、九州各地の教会の主任司祭に救護院の案内書を送付した。救護院で働いていた女性たちは、すでに前号で紹介したとおり「愛子会」の会員として、事業のために献身的に働いていた。
ところが、当時の日本の状況は日増しに軍国主義の度合いが濃くなり、国内にいる外国人は、スパイ容疑をかけられたり、始終警察に尾行されたりした。チマッティ神父はこの状況に際して、いつ宣教師たちがイタリア本国に送還されるかわからないと考え、自分たちがたとえいなくなっても、神の国のために働ける拠点作りをしなければならないとカヴォリ神父を諭したのだった。
つまり、それは、カヴォリ神父がはじめた救護院を継続させるために正式な「女子修道会」をつくるということだった。

カヴォリ神父はどうだったのだろう? その勧めを受けただろうか。
カヴォリ神父はチマッティ神父のその勧めを全く予期していなかったので驚いてしまった。そして即座に「それはできないことです」と断った。カヴォリ神父の考えは、誓願も制服もない女性たちの会が地域社会のパン種となって自由に神のお召しに応えて行くというものだったからだ。

しかし、カヴォリ神父は、そのような不安定な情勢の中で、しっかりした基盤のない集まりは立ち消えになってしまうのではないかという考えにとらわれ始めた。

一ヶ月も経たないうちにチマッティ神父は修道会設立の話を持ちだし、またしばらくして、同じことをカヴォリ神父に勧めた。このとき、カヴォリ神父は頭を下げて、聖ペトロのことば を用いて「おことばですから網を下ろしてみましょう」と答え、チマッティ神父の勧めに従ったのである。

1937年6月16日付、ローマ聖座から新修道会創立の認可が教区長チマッティ神父のもとに届いた。
はじめ新修道会は「日本カリタス修道女会」と命名されたが、後に発祥地の名をいれて「宮崎カリタス修道女会」と命名された。

カヴォリ神父は「カリタス」という名称について次のように述べている。
「私はこの『カリタス』という名称を選んだことを本当に良かったと思っています。なぜなら、この修道会を通じて、今後幾世代にもわたって無数の同胞の心身の善のために働き、身をささげる大勢の人々の心に、サレジオ会リナルディ総長の教え( 写真で見る歴史No.1「フルダ号に乗った宣教師たち」参照)が生き続けると思うからです。」



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