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2013年02月の記事は以下のとおりです。

信仰年

< 信仰年 >
 今年は信仰年、世界各地で私たちキリスト者の信仰をどう深めるか、司教様や神父様たちはいろんなことを計画して下さっている。私たちのジュバ大司教区でも、木の十字架を順番に教会から教会へ渡していき、礼拝や、行列などをして信者の信仰を促している。
 南スーダンは、長くアラブ系モスリムの勢力によって多くの教会が、壊されました。
 毎日曜日のミサに行くベレーニャ村もかつて小さな教会があったそうです。教会は伝統的なのもで、土づくりの藁ぶきのもの。でも今は、柱にしていた木だけが腐って何本かたっている状態。今は、大きなマンゴーの木の下が教会です。今度、木の十字架を作って、この木に下げてもっと教会らしくしようと、神父様に相談しました。四旬節が始まり、復活祭がきますから。さあ!これから木を探しに行きます。良い木が見つかりますようにと祈りつつ。

< 聖書と南スーダン >
① 南スーダンへ派遣され、信仰年が始まったことは、修道者といえども信仰の浅い私にに“信仰を深めよ!”との神様の鍛錬だったと感じる今日この頃です。それは、聖書の言葉が身にしみる場面を体験するからです。創世紀の中に、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という言葉は、まさしくこの土地で目にすることができます。ほんとに、子供たちがたくさん、赤ちゃんの洗礼は一度に150人~200人。それから人間だけでなく、牛・ヤギ・鳥・トカゲ・ねずみ・かえる・くも・虫たちなど、いろんな生き物の親子がたくさん。ほんとにこの言葉がすぐに頭に浮かんできました。まさしく創世紀の楽園はこんな感じだったのかなと、想像できます。

南スーダンとドンボスコ

  • 2013/02/01 14:10

< 南スーダンとドンボスコ シリーズ >
① 新司祭
今日はドンボスコの日。26日の土曜日に大きなお祝いを小教区ですませていたため、今日は、ここグンボの私たちのサレジアンファミリーはとてもしとやかなお祝いでした。

ここから車で7時間ほどの所にもサレジアンファミリーの司牧地があります。ここで、なんとベトナム人のサレジオ会の神父様が叙階されました。彼は南スーダンの宣教を希望し、ケニア管区に所属していて、昨年神学の勉強の休みの間そこで働いていましたから、彼の願いで南スーダンでの叙階がかなえられ、こちらからも出席しています。私たちカリタスのシスターは残念ながら誰も参加できませんでした。長距離を慣れない土地で運転していくのは危険なので、ここから心を合わせて祈りを捧げました。

彼は最初ベトナムの教区の神学校へ入ったそうです。そのあと、ドンボスコの子らと出会い、彼らにひかれてサレジオ会へ移動した経緯の持ち主。それだけ、ドンボスコの子らは魅力的だったんですね。叙階の後、彼はすぐにベトナムに帰国し、初ミサはお母様と一緒に捧げるそうです。ドンボスコと、マンマ・マルゲリータを思い起こさせる出来事でした。

②ドンボスコが南スーダンへやってきた!!

さて、今ドンボスコ生誕200年の準備のために、彼の遺物が世界中を巡っていますね。ここ南スーダンにも昨年の1月にガラスケースの中に入ったドンボスコがきましたが、大事件が起きました。その事件とは・・・・サレジオ会はスーダンにも支部があります。

最初スーダンへ入り、そのあと南スーダン入りする予定になっていました。ところが、  スーダンの空港に着いたとき、人は入国可能だが、この像は入れられないと拒否されてしましました。というのは、南スーダンが独立した後、南スーダンはキリスト教国、      しかしスーダンはイスラム教の国。像といえども、等身大のしかもカトリックの司祭、   聖人。そしてもう一つ、日本と同じように、ガラスケースには入ってますが死人にどうして祈るの??ちょっと気味が悪い。という感覚がアフリカにもあるそうです。詳しいことはわかりませんが、きっと彼らにとっては大きな問題だったでしょうと思います。

それで、急きょ南スーダンのグンボへ運ばれてくることになりました。このとき、私たちカリタス会の修道院はまだ完成していなかったので、サレジオ会の家に宿泊していました。急なことで、私たちは連絡を受けてから、急いでチャペルを掃除し彼の到着を待ちました。このとき、南スーダン入りのドンボスコの日程はすでに組まれていたので、スーダンを巡るはずの1週間はドンボスコさんを、目立たない場所へ置く必要がありました。しかし、チャペルの入り口がせますぎて入らない。仕方がないので神父様たちの部屋の前のテラスに置くことになりました。幸い、乾季に入っていたので雨の心配はない!しかし、外から見えるので、テラスの周りに布をはり、外から見えないようにしました。この1週間は私たち、グンボ村のサレジアンファンリーにとっては、意外なお恵みをいただきました。

毎日ドンボスコの前で、ミサをささげ、時間ができた人は、ドンボスコの所へ行き、祈りをささげ、何度もガラスケース越しですが、手を触れて願い事をしたり、語り合ったり、写真を撮ったり、身長を比べたりと、いわばやりたい放題の事をすることができたのです。   ドンボスコを運んできた3人の方が、毎日ガラスマイペットでガラスケールを拭いてましたが、乾季で、砂ぼこりのひどいこの場所で、ドンボスコさんはすぐにホコリまみれになってしまっていました。

それから1週間後。彼は、南スーダンのここグンボから飛行機で1時間半離れた2つの場所へ飛行機に乗せられ出発しました。そして、また1週間後、南スーダンの最後の訪問場所であるグンボへ戻ってきました。あの隠された日々とは大違いで、飛行機が到着する空港には、政府の代表者、ジュバ司教総代理、サレジアンファミリーはもちろん、他の修道会も若者たちも踊り、歌で出迎え、しかも、ドンボスコが訪問する教会や刑務所、スタジアムと5日間ほどのプログラムの移動には、毎回パトカーが先導し、大統領か教皇様が通るのかと思わせる、盛大なものでした。

私は思いました。あの隠され、誇りにまみれた1週間はいったい何だったんだろうと。
きっと、ドンボスコは長い戦争でたくさんの死者を出したこの地、若者たちも少年兵として連れて行かれ、死んでいった数多くの魂と語り合いたかったのかもしれないなと。
なぜなら、このグンボの土地はスーダン解放軍が駐屯していた土地で、多くの血が流された場所なのです。そして、世界各地をまわって、ちょっと休みたかったのかもしれません。
そして何よりも、きっとドンボスコの名前を修道名にもらった、私と長く居たかったのかもしれないと、一人ひそかに自負しています。

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