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南スーダンとドンボスコ

2013.02.01

< 南スーダンとドンボスコ シリーズ >
① 新司祭
今日はドンボスコの日。26日の土曜日に大きなお祝いを小教区ですませていたため、今日は、ここグンボの私たちのサレジアンファミリーはとてもしとやかなお祝いでした。

ここから車で7時間ほどの所にもサレジアンファミリーの司牧地があります。ここで、なんとベトナム人のサレジオ会の神父様が叙階されました。彼は南スーダンの宣教を希望し、ケニア管区に所属していて、昨年神学の勉強の休みの間そこで働いていましたから、彼の願いで南スーダンでの叙階がかなえられ、こちらからも出席しています。私たちカリタスのシスターは残念ながら誰も参加できませんでした。長距離を慣れない土地で運転していくのは危険なので、ここから心を合わせて祈りを捧げました。

彼は最初ベトナムの教区の神学校へ入ったそうです。そのあと、ドンボスコの子らと出会い、彼らにひかれてサレジオ会へ移動した経緯の持ち主。それだけ、ドンボスコの子らは魅力的だったんですね。叙階の後、彼はすぐにベトナムに帰国し、初ミサはお母様と一緒に捧げるそうです。ドンボスコと、マンマ・マルゲリータを思い起こさせる出来事でした。

②ドンボスコが南スーダンへやってきた!!

さて、今ドンボスコ生誕200年の準備のために、彼の遺物が世界中を巡っていますね。ここ南スーダンにも昨年の1月にガラスケースの中に入ったドンボスコがきましたが、大事件が起きました。その事件とは・・・・サレジオ会はスーダンにも支部があります。

最初スーダンへ入り、そのあと南スーダン入りする予定になっていました。ところが、  スーダンの空港に着いたとき、人は入国可能だが、この像は入れられないと拒否されてしましました。というのは、南スーダンが独立した後、南スーダンはキリスト教国、      しかしスーダンはイスラム教の国。像といえども、等身大のしかもカトリックの司祭、   聖人。そしてもう一つ、日本と同じように、ガラスケースには入ってますが死人にどうして祈るの??ちょっと気味が悪い。という感覚がアフリカにもあるそうです。詳しいことはわかりませんが、きっと彼らにとっては大きな問題だったでしょうと思います。

それで、急きょ南スーダンのグンボへ運ばれてくることになりました。このとき、私たちカリタス会の修道院はまだ完成していなかったので、サレジオ会の家に宿泊していました。急なことで、私たちは連絡を受けてから、急いでチャペルを掃除し彼の到着を待ちました。このとき、南スーダン入りのドンボスコの日程はすでに組まれていたので、スーダンを巡るはずの1週間はドンボスコさんを、目立たない場所へ置く必要がありました。しかし、チャペルの入り口がせますぎて入らない。仕方がないので神父様たちの部屋の前のテラスに置くことになりました。幸い、乾季に入っていたので雨の心配はない!しかし、外から見えるので、テラスの周りに布をはり、外から見えないようにしました。この1週間は私たち、グンボ村のサレジアンファンリーにとっては、意外なお恵みをいただきました。

毎日ドンボスコの前で、ミサをささげ、時間ができた人は、ドンボスコの所へ行き、祈りをささげ、何度もガラスケース越しですが、手を触れて願い事をしたり、語り合ったり、写真を撮ったり、身長を比べたりと、いわばやりたい放題の事をすることができたのです。   ドンボスコを運んできた3人の方が、毎日ガラスマイペットでガラスケールを拭いてましたが、乾季で、砂ぼこりのひどいこの場所で、ドンボスコさんはすぐにホコリまみれになってしまっていました。

それから1週間後。彼は、南スーダンのここグンボから飛行機で1時間半離れた2つの場所へ飛行機に乗せられ出発しました。そして、また1週間後、南スーダンの最後の訪問場所であるグンボへ戻ってきました。あの隠された日々とは大違いで、飛行機が到着する空港には、政府の代表者、ジュバ司教総代理、サレジアンファミリーはもちろん、他の修道会も若者たちも踊り、歌で出迎え、しかも、ドンボスコが訪問する教会や刑務所、スタジアムと5日間ほどのプログラムの移動には、毎回パトカーが先導し、大統領か教皇様が通るのかと思わせる、盛大なものでした。

私は思いました。あの隠され、誇りにまみれた1週間はいったい何だったんだろうと。
きっと、ドンボスコは長い戦争でたくさんの死者を出したこの地、若者たちも少年兵として連れて行かれ、死んでいった数多くの魂と語り合いたかったのかもしれないなと。
なぜなら、このグンボの土地はスーダン解放軍が駐屯していた土地で、多くの血が流された場所なのです。そして、世界各地をまわって、ちょっと休みたかったのかもしれません。
そして何よりも、きっとドンボスコの名前を修道名にもらった、私と長く居たかったのかもしれないと、一人ひそかに自負しています。

ことば

2013.01.26

 南スーダンは、アラビア語を使っています。厳密にいえば、それぞれの部族の言葉ですが。
私たちが住むこの地域は、首都ジュバに近く、ここでは、いろんな歴史を得て純粋なアラビア語でなく、    ジュバアラビア語というものが確立されて、それを使っています。ここへ来る前私たちは、サレジオ会の宣教者コースに参加させてもらいました。その時、宣教地に入ったらまず何が一番大切か?というのを学びました。  それはその場所の“ことば“です。それで、まずだれでも最初にあいさつの言葉を覚えますね。私たちもまず、「おはよう!」を覚えました。それで、朝のミサの後、早速覚えたてのあいさつを交わしました。

シスター「サルバキール!」
村人  「……」

どうしたのか??やっぱり言語につきものの、発音の問題かな?つうじない!

それで、次に、SDBの神父様たち・FMAのシスターたち・ボランティアに
シスター「サルバキール!」
すると、みんに大笑いされました。
そして、確かに私たちの聞き覚えのあいさつは間違っていました。

正解は“サバケール”きちんと発音するとhの発音が入るので
ちょっと違いますが、こういうと通じます。

そう私たちは発音が似通った南スーダンの大統領の名前“MR.サルバキール”の名前を言ってたのです。どうしてこの言葉をはやく覚えたか?
南スーダン入りの準備の段階で、何度か聞いた彼の名前が残っていて、それと混ざってしまっていたのです。

言語は早い年齢で覚えるのがいいといわれますが、大人になってある程度の年を重ねると、頭の中に他の知識が入りすぎて、間違いが起こりやすいとはこういうことか、と教えられ恥ずかしい思いをした体験です。

そしてもう一つ、私は神父様を呼びとめるため、覚えたてのアラビア語 神父様~~

シスター「 アブーバ ~ 」でも振り向かない。近くまで行きもう一度
シスター「 アブーバ!! 」  すると神父様が文句を言いました。
神父様 「私はアブーバじゃない!!」
そうです。神父様はアラビア語で“アブーナ”
アブーバは おばあさんのことでした。

これからアラビア語するのは、難しいけど楽しく頑張りたいと思います。きっとこれからも、たくさんの間違いをする羽目になると思いますが・・・・・

sallam としてリスタート

2013.01.24

2013年、新しい年が始まり、私たちがアフリカ大陸へ足を踏み入れ1年がたちました。
日本管区より、南スーダンの風と題してブログというもので
私たちの宣教をお知らせしてほしいとの依頼がありました。
皆さんもご存じのように、この国は独立してまだ浅いです。
独立したからといってすぐに平和が来るわけではありません。
写真などもまだ公に撮ることは、許可されていません。
お知らせしたいニュースはたくさんありますが、
書けないこともたくさんありますから、
ほんとに私たちの身近なもので、感じたものを書きたいと思います
この1年の体験も書いてみたいと。
どうぞ、ちょっと一休み程度で、読んでいただければと思います。
今回新しい年と、ここでの経験で
題名を「 Salaam 」(サラーム)と変えさせていただきます。
これは、アラビア語で“平和”という意味ですが
出会ったとき、知ってる人でも知らない人でも
お互いにこの言葉を、かけ合います。
あなたに、平和がありますようにという意味があるそうです。
このブログを読んで下さるとき南スーダンに真の平和がきますように、お祈り下さい。
新しい年、私たちの信仰が深められるときで、ありますように祈りつつ。

 「南スーダンからの風がなかなか吹いてこない!」とコメントをいただきましたが、実は南スーダンは昨年の4月にインターネット、電話回線がスーダンから、分断されました。
スーダンの回線を使っていたものが南スーダン独自なりました。
それで、まだ不十分です。ネットの状態がよくありません。
 それに、私たちは南スーダンだけで使えるインターネット用のUSBを使っています。これがプリベイト式。
メールなど送受信するために、くるくるとシグナルが長い時間まわっていますが
その間も金額が落とされていきます。
まった揚句に、送受信の完了の前にお金がなくなっています。
そして、そのカードのお金がなくなると
町まで行き、カードを購入してまたインターネットを使うという状況ですから
また、風がなかなか吹かないと思いますがご了承ください。)

< 南スーダン>

南スーダンはどんな国?と知り合いの人のメールで聞かれますが
私たちは、首都ジュバから、車で15分ぐらいのグンボという村に
住んでいます。ここと、ジュバの町、日曜ごとに他の村にミサに行く場所
が私たちの行動範囲なので、この場所の事だけお知らせできます。
まず私たちの村グンボ
ジュバ大司教区の、パウリノ大司教様から、サレジオ会が司牧を依頼され
サレジオ会が、サレジアンシスターと私たちカリタス会をここへ呼び
今、同じ敷地内でそれぞれのカリスマに応じ活動しています。
聖ヴィンセント・ポールの小教区、オラトリオ(これはファミリーで活動)
サレジオ会が、高校と(2012年5月開校)テクニカルスクール(2013年1月開校予定)
サレジアンシスターが幼稚園(2012年3月開園)と小学校
そして私たちカリタス会はヘルスセンター、しかしこれはまだ支援団体との
交渉が終わっていないのでおそらく来年には開ける予定。
今は2部屋だけの小さな診療所をたて、たぶん今年2月には始められる予定です。
この小教区に属する他の4つの教会へ、私たちは、別れて(サレジアンファミリーミックス)
ミサをします。教会はないので、木の下です。
ファイル 6-1.jpg

神父様はシスターたちに子供へカテケイジスをしてほしと望んでいますが
今のところ、言語の問題でまだしていません。
この範囲はバリ族なので、アラビア語バリです。
今は、会話ができるように、なんとか単語を覚えている最中です。
今は、もう乾季に入ったので日中は太陽の下は、50℃
でも、今年は昨年に比べ乾季の来るのが2カ月ほど遅く
今、まだ風は涼しいので幸いです。これで本格的な乾季になると
この風が、ヒーターのように熱くなってきます。
だから、窓のない土で壁を作り、窓がない、草の屋根の家
これが彼らの伝統的な家ですが、これがこの暑さを防ぐのです。
本当に、人間の知恵はすごい!!!
私たちは、ちょっと知恵が足りなかった?コンクリート壁、窓付き、トタン屋根、という
自分たちの国の生活に近い家を作っているので
暑い!熱い!部屋の中にペットボトルに入れて水を常時
おいていますが、夏、車にこれを入れているとお湯になるように
ぬるま湯になっています。未だ電気も水も国の供給のシステムができていないので
自分たちで、それぞれジェネレーターを備え、私たちは夜2時間だけ使っています。
扇風機をつけましたが、この2時間しか使えない。
だから、日本から持ってきたうちわが、なんとありがたいと感じていることか。
先祖の知恵を、学べ。と教えられるこの国です。

ヘビを囲んで

2012.10.08

ある土曜日、サレジオ会の南スーダン人のプレノヴィスが、オラトリオの運動場で草刈りの最中に、1メートルほどのヘビを見つけ、見事にしとめた。

何人かの子供たち、ブラザー、神父様がその周りに集まっていた。
たまたまそこを通りかかった私は神父様に呼びとめられ、その輪に加わったところ・・・

見たとたんに”ウワッ!!”と叫んでしまった。

生きた蛇に何度か出くわしたけれど、殺されたのを見たのはここへ来て初めてでしたから。
またこの蛇が、ちょっと大きめ。

ファイル 5-1.jpg


そこで、会話が始まった。

私は以前に、蛇を殺しても半殺し状態だと生き返ると聞いたので、
「神父様すぐに焼きましょう。」と言いました。

しかし、スーダンで既に長く宣教しているインド人の神父様は
「いや!これはなかなか良いスキンをしている。バックか財布にできる」

ナイジェリア人のブラザーは
「この手のヘビは毒が強いので、触ると腫れる。すぐ遠くに捨てましょう」

子供たちは、ただ怖がって何やらアラビア語でそれぞれ話している。

そこへ、村のおばあさんが通りかかり、話に入り、
「これはいい!! 食べなさい!」と

そして、私たちは何も言わず・・・・解散した。

その後、結局この蛇を殺したプレノヴィスが
作業が終わり、ポイッとどこかにすてたらしい。

私は今も、また生き返るんじゃないかと
ちょっと心配している。

とうもろこし

2012.09.28

今、収穫の時期で忙しくしてます。
この前、トウモロコシを市場へ売りに行きました。
立派なのができたので、そしたらすさまじい状態で
あっという間に売れてしまいました。
でも大変でしたよ。
相手は南スーダン人の女性たち、
安く買って、それを高くで売ろうという魂胆ですから。
つけた値段の半分を要求してきました。

しかし、こっちとしても生活がかかっているので
これに負けずと交渉。
周りの店の人は、まずはシスターが物を売りに来てるのが珍しいのと
片言のジュバアラビア語で必死になっている私たちを見て
笑ってました。
しかし、次の日、味をしめてまた売りに行きました。

今度は、少し小さめ。もう大きいのは売れてしまったから。
そしたら、まったく売れなかった。
情けで、何人か買ってくれたけど…
商売は難しいと感じた日でした。

水が急に止まった

2012.09.07

井戸水が急に止まった。
井戸水設置してくれた水道屋さんを呼んで
チェックしたら土に埋めていた電気の線が切れていた。

それを修理してやっと水が来るようになったら
今度は水を上げるためのジェネレーターが壊れた。

まず一人目の人が修理出来ず、日本からボランティアの中で
機械専門の方がいて見てもらったら、中の作りが変だったことが発覚。
分解しながら、ぼやいていた。
しかし、彼らは時間がなかったので、途中まで分解して帰ってしまった。

次に神父様が呼んでくださった人も修理できず、
結局ワークショップへもっていったがなかなか戻ってこず、
やっとエンジンが悪いからだとわかって、高いお金を出して
エンジン交換していただいたが、2日で壊れた。

それで苦情を言ったら、またお店まで持っていき
またそれから1週間ほど待ち、戻ってきたら
パワーが5KVから2KVに落とされていて
電気は使えるが、井戸水が上がらない。

結局、今もう諦めて電気だけは使えるようになったけれど
水は隣に建てられたサレジオの家から
長いホース2本つないで、水をタンクへ入れて助けてもらい、
雨が降るとあるだけのバケツを外に出して水を貯めている。

しかし、もともと電気も水もないところと言われていたから
これが、本当の南スーダンなんだよね、って言っているところだ。

トマト事件

2012.08.13

ナイロビで勉強していたシスター2人が金曜日に到着。
昨日、今日と来客や行事で忙しかった。

いつもは暇なのに、暇と言うか、毎日畑耕して、
草取ってるけど、2日間はそれもできず…
また草が伸びた。

伸び方が、早いのよ。
そして、今日はショックなことが・・・

やっと日本から持ってきた種、無事トマトの種を植えて
実がなりだした。毎日、けっこうたくさんEMをかけて 
大きくなってきたと思ったら、まだ青いけどそれを今日、
子供がとって食べてしまった。

しかし、おなかのすいた子供がまだ青くても
取って食べたことに、怒ることもできず
ただシスターたちとショックを分かち合うしかなかった。

ここも野菜、ほんとに高いから。トマトは特に。
赤くなったら、子供たち呼んで取って食べさせようと
思ってたのに・・・これも試練の一つ。

神に感謝です。

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