宮崎カリタス修道女会
 

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福島体験

2012/10/29 更新
 

福島に行ってきました


 


 以前から行きたい、行かなければと思っていた福島にようやく行くことができました。それは、今後行われる修女連企画の福島での体験学習を計画するための視察が目的でした。今まで、仙台以北の被災地にはボランティアやスモールクワイアのコンサートで何度か足を運んでいましたが、今回福島に実際行き、現地での生の声を聞き、原発事故がどれほど多くの人の悲しみ、怒りを生みだしたのかを垣間見ることができました。
  
 福島での体験学習の準備のための視察で、他の修道会のシスターたちとご一緒でした。この視察が充実したものとなるように現地で長期間にわたって活動を続けておられるシスター畠中がとてもよく準備を整えてくださいました。私は東京教会管区に属しているので、頻繁に東京カトリックボランティアセンター(CTVC)からボラパックへのおさそいが届いていましたが、それが実際どのような場所で、どのように行われ、どのような実りを結んでいるのかを知ることができました。

 特に印象深かったのは小高地区被災地を巡った時のことです。車から見える町並みは、3.11の後、そのまま時が止まったかのように崩れた家、傾いた電柱、そこは福島原発から20キロ圏内。今年の4月16日以降出入りできるようになったとはいえ、1日5時間しか入ることは許されていないのです。自宅を片づけに来ている人、除染をしている作業員の姿がちらほら見えるだけで、町は静まり返っていました。
 
 そのあと、北泉海岸につれていっていただきました。そこは、津波、放射能、地震の被害をこうむった場所です。福島に一箇所だけある原町火力発電所が津波をかぶり、1号機は復旧工事中でした。その工事が終わったらそこから電気を引けるようにと、一本1億円もするという新しい鉄柱が、波ですべてを流された平地に、すでに並んでいました。原発事故を受けて、これほどに複雑な気持ちで火力発電所を眺めたことはありませんでした。私たちはマスコミの情報に惑わされてはならないと思います。日本には再生可能なエネルギーの可能性がたくさんあるのに、それが単に使われていないという事実があります。様々な新しいエネルギー開発までのつなぎとしては、北海道に眠っている大量の石炭、そして今まで見向きもされていなかった褐炭の開発利用が大きな可能性として注目されつつあります。
 
 海を見た後、わたしたちは鹿島区内の仮設住宅で「やさい畑」野菜配布ボランティアに参加しました。一口500円で募った寄付で買い求めた福島の安全な野菜を、仮設の一軒一軒を回って配るのです。初めはそのように支援されることに戸惑いを感じていた方も多くいらっしゃったそうです。今回が3回目の配布でしたが、今ではとてもうれしそうに感謝して受け取ってくださるということでした。原町教会の主任である狩浦神父様や信徒会長の高野郁子さんのお話も伺うことができました。

 今回の視察で特に印象深かったのは原町教会の敷地内にあるさゆり幼稚園の第一期生である高橋さんのお話しでした。高橋さんは南相馬の復興のため、実に精力的に、そして創造的にいろいろな活動を展開していらっしゃいます。

 原発事故が起き、まさに命からがら「逃げた」こと。そして休憩していた飯館村で、知らないうちにたくさんの放射能を浴びてしまったこと。何の情報も知らされず、「避難」という言葉で、ただただ何度も場所を移動させられたことへの怒りが伝わってきました。ときどきこみ上げてくる涙を抑えながら、この不条理な出来事を乗り越えてきた高橋さん、差別の問題にも触れられました。福島から県外に避難し、汚染物質扱いをされ、レストランに入れてくれなかったり、福島ナンバーの車がいたずらをされたりといったことも起きているということです。
 
 年以上経ち、津波ですべて流されたところに青草が生え、初めて来た人が一見何もなかったかと錯覚を起こすように、半径30キロから20キロに、20キロから10キロにと警戒区域が解除されていくにつれて、福島が忘れ去られてしまうというのではという危機感が募ると言います。「この場所の空気を吸ってほしい。テレビの状況だけでは分からない。この場所に来てほしい。」

 確かに、こと原発のことになると、利権と思惑がからんでくるためか、報道が限られているような気がします。異様に感じたのは、原発の足元である南相馬の町で、一度も「原発反対!」というのぼりや、チラシ、ポスターを見かけなかったこと。原発関係者がたくさん住んでいて、声を上げられない現状があるようです。沈黙の叫びがうごめいている。だからこそ、県外に住む私たちが声をあげていかないといけないということを、ひしひしと感じました。福島の人たちは、本当に純粋な生き方をしてきました。そこで採れた野菜しか口にしたことがないため、避難先で買う野菜との味の違いがすぐ分かる。それほどその土地にしっかりと根付いているのです。いろいろな産地からのものを日々摂取しているわたしのような東京人には、想像もつかない話でした。「私たちは苗木ではない!接ぎ木でもない。福島の自然の一部なんです。だからそこから引き抜かれて他の地に植えられたら、ボロボロになってしまうんです。」この言葉はとても心に響きました。

 すべての日程を終えて福島駅に向かう道中、高橋さんがとりあえず身の回りの大切な物だけを持って家を後にし、(もう戻れないかもしれない)と実感したという堀切峠を通り抜け、家はあるのにカーテンをして誰も住んでいない飯館村の家々、商店、学校、ガソリンスタンド、荒れ果てた畑を眺めながら、心の底にずっしりと重い鉛のようなものを感じていました。風になびき、辺り一面異様なほどに茂ったススキは、手つかずの状況を物語っており、まるで、「わたしたちを忘れないで!」と懸命に手を振っているようで、この目に焼き付けてきました。

 

宿泊させていただいた原町ベース


毎日工夫されたプログラムが元気づけています


仮設住宅の一角にあるくす玉工房を訪問


小高地区、今でもまだこのような状態のところも


向こうに見えるのが火力発電所

 



留守宅にはメッセージと共に置いていきます

 



震災後改修して美しくなった原町教会




警戒区域で人が入らないよう監視する警察官たち




1年半以上しまったままのシャッター