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家庭の意味
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第12回 あったかい家族の愛
大分教区司祭 山下敦 |
2014/4/1 連載開始 2015/3/10 更新 |
一年間、「家庭の意味」について書いてきましたが、早いもので今回が最後になりました。このページにアクセスし読んでくださった皆様に心から感謝しています。最後の連載は心温まる家庭の話しで終えたいと思います。
ある町のレストランで、よくそこを訪れる老夫婦の話しになったそうです。その話しをたまたま聞いていた別のレストランの主人が「その夫婦はうちにもよく来るよ」と一言。実はこの夫婦、とても仲がよく、少なくとも月に一回は互いの好きなものを食べにレストランに行くんだそうです。こんな日々が長く続いたので、この老夫婦はその町のレストラン関係者の間でちょっとした有名人になったという話しです。
私は5年ほどローマにいましたが、イタリアではよく年を重ねた老夫婦が手をつないで散歩しているのを見かけました。公園では、二人一緒にベンチに腰掛けている姿などをよく見かけました。日本じゃなかなか見られない光景だな、平和だな、美しいな、人間はこういう風に生きられたら素敵だな…、などなどいろんな思いで心の中がほんわかとなるのを感じました。夫婦としての長い道のりにおいて、間違いなくいろんなことがあったと思います。苦しいことつらいこと、たのしいことうれしいこと。でも、人生の最後に近づいた今もそうやって二人で寄り添って生きることができれば、出会った意味、結婚した意味、家庭を築いた意味、そして何より、神様からいのちを与えられた意味を一つはっきりと実現したと言い切れるのではないでしょうか。
一人ひとりが今、この時を生きこの場所に立っているのは本当に不思議なことです。どこか別の時代の別の場所に生まれて来ていたかもしれない可能性について考えてみると、人のいのちの始まりと終わり、そしてその人生の道のりにおいて遭遇する出来事や出会う人々は、本当に神様の御摂理のうちに恵みとして与えられたのだと感じます。もちろん、人生にはつらいことも悲しいこともたくさんありますが、それらも偶然の出来事ではなく、神が私たちを真理と愛である御自身の方に導くために許されたことなはずです。
今、ヨーロッパに行っている私の知人の方がいます。結婚なさっていて二人の子どもの母親ですが、つい最近、がんが発見され、余命数ヶ月を宣告されました。それで、子どもたちの発案で、家族みんなで巡礼旅行に行くことになったのです。末期がんですから、巡礼中も食事がまともにとれない時があります。簡単なものしか喉を通らないそんな時、家族のみんなも同じメニューで食事をするのだそうです。巡礼中は“とにかくお母さんがしたいことをしたいようにしたいだけ”をモットーに家族みんなで協力し合っています。
以上のことはすべてメールでいただいた情報なのですが、これらのメールを読みながら、家族が支えあって生きている現実と、何よりその愛が心の中に染み渡ってきました。人間は痛みをとおして本物の愛を輝かせることができる、いや、本当は苦しみをとおしてこそ、その愛の光はすべてを照らすのだということを実感しました。
家族が一つとなること。家族崩壊の時代である今だからこそ、私たちがもっと真正面から挑戦しなければならないことです。そして何より、絶対にあきらめてはいけないことだと思います。今、カトリック教会は“家庭”のテーマで動いています。教会は家庭のために祈り、家庭に耳を傾け、すべての人が自分の家族の一員であることの意味と責任、そして何より、その幸せを見つけ生きることができるように願っています。
母であるマリア様がすべての家庭を護り導いてくださいますように。
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