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カトリック教会の社会教説をやさしく学ぼう |
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ヨハネ・マルシリオ神父(S.D.B.) |
今年一年、ヨハネ・マルシリオ神父様(サレジオ会司祭)が「カトリック教会の社会教説」をやさしくひも解いてくださいます。神父様は50年前に来日され、現在は下井草教会で司牧活動をされながら、日本の教会のために多方面にわたって活躍されています。
一見難しく、なかなか馴染みにくい社会教説。神父様に解説して頂くことによって教会の教えに対する関心が高まり、学びを深める手掛かりとなるのではないかと思います。どうぞ、ご期待ください。 |
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[11] 「カトリック教会と政治共同体」
教会の長い歴史の中で、教会の政治共同体に対する考えと態度は、いつもはっきりしていたとは言えません。歴史の始めに教会は迫害に会い、政治共同体と距離を置いていました。ところが全ヨーロッパがキリスト教化した後には、政治共同体と教会は結びついていったと言っても過言ではありません。長年の経験を経た後、初めて教会は、現在抱いている考え、取っている態度にたどり着いたのです。それはお互いの「自律と独立・協力」です。第2バチカン公会議はちょうど50年前にこの考えを打ち出したのです。
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教会と政治共同体は目に見える構造をもって存在していますが、その形態と追及する目的は本質的に異なっています。教会は信徒の霊的必要を満たすよう組織化されていますが、さまざまな政治共同体は地上の共通善に役立つような機関を生み出します。第2バチカン公会議は人間の霊的・物質的善をはかるこの二つの存在の自律と独立を再確認しました。「政治共同体と教会はそれぞれの領域において互いに独立しており、自律性を持っている」と。(現代世界憲章76)
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政治共同体は、人間の人権である信教の自由を尊重する義務によって、教会に自分の使命を遂行する空間を保障しなければなりません。「教会は民主主義的な秩序の正当な自律を尊重しており、この制度がよい、あの政体がよい、と口に出す資格をもっていません」(教皇ヨハネ・パウロ二世回勅「新しい課題―教会と社会の百年を振り返って」47項)が、宗教や倫理とかかわることがらに関して、自分の意見をのべる権利を主張します。
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政治共同体と教会は自律していますが、両方が人間の奉仕という<善>のために尽くす使命をもっているので、互いに協力関係を結びます。「両者がそれぞれの置かれた時代や場所の状況を考慮して互いに健全に協力し合うならば、すべての人の益のために」より効果的に奉仕することができるからです。(現代世界憲章76)
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現在、すべての国がカトリックではないので、政治共同体と教会との間に互いの自律と協力を育むために、あらゆる形の<契約>が結ばれます。各国に一人の教皇大使が置かれる理由の一つは、この契約の具体的な実践の監督にあります。
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教会は自身のアイデンティティーが法的に認められる権利を有しています。その使命は人間のすべてを包含するものであるからこそ、教会は「人類とその歴史とに、実際に深く結ばれている」と感じています。(現代世界憲章1)それゆえ、「人間の基本的権利の保護や魂の救済が求められるときはいつでも、教会はこの現実に関する道徳的判断を表現する自由を要求するのです。」(カトリック教会のカテキズム2246)
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従って、教会はすべての国の政治共同体に、次のことを求めます。「表現・教え・福音宣教の自由、公共の場での祭礼の自由、組織化と内部統制の自由、独自の指導者の選択、教育・任命・異動の自由、宗教的建造物の建設の自由、活動のための十分な財産の入手と保有の自由、宗教のみならず教育・文化・衛生・慈善を目的とした機関の設立の自由です。」(ヘルシンキ最終行動の署名国の指導者にあてた挨拶)
言うまでもありませんが、(カトリック教会は)現在、このような自由が、どこにおいてもカトリック教会に与えられているとは言えません。
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