平山司教様は、祝別式の中で新修道院の祈りの家としての意義をお話くださり、来賓としてご臨席くださいました藤川長喜神父様は次のようなお話をしてくださいました。
カリタス修道女会亀川修道院新築工事落成式
来賓祝辞
サレジオ修道会 藤川長喜神父
オーストラリアにアポリジニという先住民がいます。先住民といいましたら、歴史の中で悲惨な歴史を刻んできた人たちなんです。コロンブスによって大航海時代というのが始まりましたけれど、それは先住民にとっては受難の歴史の始まりでもありました。西インド諸島にヨーロッパからやって来た人たちがたくさんの先住民を迫害し、虐殺し、抹殺し、そして時には、その先住民を絶滅させた例もあります。そして最後の先住民への迫害がオーストラリアのアポリジニという民族でした。
このアポリジニもそれまでの先住民たちと同じように、彼らは自然の中で、神様から創られた被造物の一人として自然と共生しながら自然と共に神様を敬い、生活してきました。そして今の私たちが手にすることの出来ない智恵を築いてきました。
そこで今日私は、このアポリジニという先住民が持っている一つの習慣を紹介したいと思ったのです。
彼らは生活のために、狩猟するために、一日中、あるいは何日も何日も歩き、走り続けるんだそうです。そしてある時、バッタリと地面に倒れ伏してしまうのです。地面に体をつけ、顔を地面につけてそのまま息絶えたかのようにじっとしているといいます。それが何時間も何時間もずっと。時には一日二日続くときもあると。何をしているのでしょう。そして、それからまた立ち上がって歩き続ける。走り続ける。こうした事を繰り返しているというのです。彼らは地面に倒れ付して何をしているのでしょう。自分の魂が追いかけて来るのを待っているというんです。
毎日生活のためにあくせくしている、仕事のために一生懸命になっている。でもどこかに自分の魂を置いてけぼりにしてしまっているのです。それで、ある時に自分の内にたどり着くのをじっと待っている。なかなかたどり着かない時には何日も何日もそうしている。そして、自分の魂が自分と合体したときにまた働き始めると。私たちは、自分の魂が自分の中にないときに、神様との関わりも自分との関わりもどこかでおかしくなってしまう。アポリジニはそういう智恵を持っていたのです。
今日、この黙想の家の落成式が行われました。ここで、普段カリタスの精神で献身的に働いているシスターの皆さん方は、ここにやってきて、バターッと倒れ伏してください。一週間たっぷり、そして自分が一体何者なのか、自分も神様から創られた人間だと、そういう心を取り戻してほしい。魂を待ち続けてほしい。それによってはじめて神様とも人とも自分とも正しい付き合い、そして正しい働きができるのじゃないかと思います。そういうことで、こういう家ができたことを私は本当にうれしく思います。そして皆さんの魂が皆さんにたどり着くために、私たちサレジオ会も何かお手伝いできるかも知れません。どうぞ、バターッと倒れ伏す場所として、この場所を利用していただけたらと思います。
皆さん本当におめでとうございました。