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こんにちは、沖ノ原修道院です。

主の祭壇沖野原修道院設立の由来

 本修道会の創立者アントニオ・カヴォリ神父により設立される。
 アントニオ・カヴォリ神父は、サレジオ会第一回宣教師団員の1人として、1926年2月に来日。1929年3月ここ宮崎カトリック教会の主任司祭となり、「無原罪の聖母会」を発足させ、貧困者と病人訪問を開始したが、あまりの悲惨さに見舞うだけでなく、貧しくあっても整った生活を提供し、その働きを通してキリストの愛を伝えたいとの思いから、1932年12月、救護院を開設。  救護院開設後一ヶ月足らずで、生後3ヶ月の乳児を、創立者自身が連れてきたことにより、救護院の一角に当つぼみの寮の前身である乳児室が、設けられた。

 当時の日本は日増しに軍国主義が濃くなり、外国人の立場は危うかった。 このため、カヴォリ神父の上司であったチマッテイ神父は、自分たちがどのような状況に置かれても、貧しい人々への愛特事業が守られ、神の国のために働く拠点創りとして、女子修道会設立をカヴォリ神父に再々促し、勧めていた。長上への従順のもとカヴォリ神父は1937年8月15日、ローマ布教聖省より修道会設立認可を得「宮崎カリタス修道女会」を創立。その後修道会と修道会付属事業となった救護院は、戦禍を生き抜き終戦を向かえる。

 戦後増加し続ける乳児部では新時代への対応として、1949年10月木造平屋建ての乳児院を新築。児童福祉法による「児童福祉施設カリタスの園乳児院」として正式認可される。この時創立者は、無限ともいえる可能性を秘めた幼子たちが、奨来美しい花を咲かせ、実を結ぶことを願って「つぼみの寮」と命名した。
 1967年12月15日木造の腐食に伴い、鉄筋コンクリート2階建て全面増改築完成。救護院からカリタスの園へと改名し、総合施設として運営してきたカリタスの園は時代の進展に対応した各分野の専門性を高めるため、老人ホーム、児童養護施設、乳児院、保育所の4施設に分割独立する。
 1969年1月1日各施設に専任施設長及び専任園長が配属され、ここに「沖の原修道院」の誕生となる。


現在7名のシスタースタッフと36名の乳児、
外勤者35名の大家族で頑張っています。
今、みんなで「生け花」を習い始めました。


宮崎カリタス修道女会日本管区