心の教育
- ドンボスコ教育法
- 基本姿勢・・・・愛するだけでは足りない。子どもが愛されている事を実感する愛
- 源 泉・・・・小さな人々の一人一人を見守ろう。一人一人の中に神はいる。
- 実践と秘訣・・・共にいて、ともに成長する。
- 共にいるとは・・相手の目線で物事を見、相手の心をわかろうとする。
園児が何かをした場合、一方的に責めたり、ほめたりせず、共感する姿勢
相手をいとおしむ心で、名指しで呼び、しっかり相手を見て接する。
子どもを保育することは子どもの魂に触れること。 - 源 泉・・・・小さな人々の一人一人を見守ろう。一人一人の中に神はいる。
- 生命の保持 ― いのちのプログラム
- 情緒の安定 ― 心の教育
- 健 康 ―体操遊び(専門講師による指導)
- 人間関係 ― 異年齢保育・地域と交流
- 環 境 ― 戸外遊び・散歩
- 言 葉 ― 英語遊び(専門講師による指導)
- 表 現 ― 運動会・クリスマス会・お買い物ごっこ
- 人間関係 ― 異年齢保育・地域と交流
- 給食・クッキング・お楽しみ弁当・野菜栽培
- (毎週月曜日)
- 神さま、今日一日良い子で、お歌やお遊びをして、
お友だちとも仲良く、元気な良い子になるようにお守り下さい。 - 神さま、今日一日ありがとうございました。
わがまました事をおゆるし下さい。
お帰りの道であぶない事のないようにお守り下さい。 - 神さま、おいしいお食事をいただきます事をお礼申しあげます。
好き嫌いをしないで、何でもいただきます。
お父さまやお母さまにもおめぐみをお与え下さい。 - 神さま、おいしいお食事をありがとうございました。
かわいそうなお友だちにも、おめぐみをお与え下さい。 -
カトリック保育園の特徴の1つに、お祈りをしたり、賛美歌を歌うことがあります。なぜお祈りをし、賛美歌を歌い、神様のお話などを聞かせるのでしょうか。簡単に説明しましょう。
子どもを教育するということは、家を建てることのように、人間の工夫と努力だけではなし得ないものです。生命と心を宿している一人の人間を導いていくためには、保護者も保育士も教師もあまりにも無力なのです。教育は、神と人間の共同作業であることを忘れてはなりません。
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すべての事に先んじてどのような教科の土台にも、神との交わりがあるべきだと私たちは考えます。幼児が可愛い手を合わせてお祈りし、賛美歌を歌っている姿を眺めて下さい。それは単なる感傷的な美しさではなく、最も素朴な人間の美しさではないでしょうか。無力な人間が意地や強がりを捨てた人間らしい姿です。
聖アウグスチノは、「祈ることを知っている人間は、よく生きることを知っている人だ」と書き残しています。
また、当保育園のしつけを支えているものとして
「だれも見ていなくても神様は、見ていらっしゃる」という原理があります。どれほど優れた教育者であっても、保護者であっても、子どものすべてを知り、たえず側にいることはできません。教師や保護者の権威や説得力は決して絶対的なものではなく、子どもの成長と共に弱められていくのが普通です。勿論ある場合には、監督し罰を与えるのも必要でしょうが、子どもの心に訴えるしつけが必要です。幼い子どもの心に育ちつつある良心があることを見落してはならないでしょう。
聖アンナの園では「ドンボスコ教育法」を基に保育をしています。
ドンボスコとは、人の名前で「ドン」は敬称であり、訳せば「神父」となる。彼の名は、
ヨハネ・ボスコと言いカトリックの司祭です。19世紀にイタリアに生まれ幼くして父を
失い、苦学して神父になる。当時、産業革命などの大きな時代転換の中で、新興工業都市として急速に膨張するイタリアのトリノにあって、そのひずみとして生まれた今で言う「ストリートチルドレン」の救済と教育に大きな功績を残した。現在 彼の意志はサレジオ会員によって引き継がれ、全世界で青少年の教育に携わっています
- ドンボスコ教育法とは?

日々の保育
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日々の祈り
- 朝のお祈り
- お帰りのお祈り
- 食前のお祈り
- 食後のお祈り
午睡前のお祈り・お庭遊び前のお祈りもかわいいお手を合わせてお祈りしています。