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カトリック教会の社会教説をやさしく学ぼう |
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ヨハネ・マルシリオ神父(S.D.B.) |
今年一年、ヨハネ・マルシリオ神父様(サレジオ会司祭)が「カトリック教会の社会教説」をやさしくひも解いてくださいます。神父様は50年前に来日され、現在は下井草教会で司牧活動をされながら、日本の教会のために多方面にわたって活躍されています。
一見難しく、なかなか馴染みにくい社会教説。神父様に解説して頂くことによって教会の教えに対する関心が高まり、学びを深める手掛かりとなるのではないかと思います。どうぞ、ご期待ください。 |
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[8] 「労働者のいくつかの権利について」
今回は「教会の社会教説綱要」から直接引用しながら、労働者の賃金や休息についてのカトリック教会の教えを伝えたいと思います。
a) 労働者の尊厳と労働者の権利の尊重(301)
労働者の権利は人間の本性とその超越的な尊厳に基づいています。労働者のいくつかの権利には、「適正な賃金の権利」、「心身両面の健康を害さない労働環境」、「職場において個人の個性が守られる権利」、「失業者やその家族の生存に必要である援助を受ける権利」、「年金や老年、病気、労災事故などの場合における保障の権利」、「母性にかかわる社会保障の権利」、「集会や結社の権利」などが挙げられます。
b) 公平な報酬の権利と収入の分配(302)
「労働の報酬は、各自の任務と生産性(…)を考慮した上で、本人とその家族に物質的、社会的、文化的、精神的生活をふさわしく営むことのできる手段を保障するものでなければならない」のです。
「受け取るべき支払い額について、雇用者と被雇用者との間に単純な合意が成立しているからといって、その合意のもとでの給料を『適正な賃金』と見なすのは十分ではありません。なぜなら適切な賃金とは、労働者が生きていくに十分な賃金を下回ってはならないからです」。
c) ストライキの権利(304)
教会の社会教説は「労働に見合った報酬を受けるためにはやむをえないか、むしろ必要でさえあるということが明らかな場合」には、ストライキの正当性を認めています。
d) 労働と休息(284−286)
労働を離れ、休息を取ることは労働者のもう一つの権利です。キリスト信者は、「神にささげられる礼拝や、主日固有の喜び、慈善のわざ、心身のふさわしいくつろぎなどを妨げるような仕事や活動に従事することを差し控えなければなりません」。また「日曜日は、家族や親類のためにも、病にある人、弱い人、そして年老いた人のためにも時間をささげ、その他の慈善活動をすることによって、聖なる日とされるべきです」。「日曜日は、内的なキリスト教的な生活をはぐくむ熟考、沈黙、学び、そして黙想のために適した一日です」。「政府の当局者は、市民が休息を取り、礼拝にあずかるための時間を、経済的生産性の理由によって拒まれることがないよう、保障する義務があります。雇用者も、従業員に対して同様の義務を持ちます」。ですから「信者一人ひとりが、必要もないのに主日の遵守を妨げるようなことを他人に強制することのないよう心掛けるべきです」。
引用したことは私たちに今の教会の考えを伝えるものです。(当たり前だ!もうすでにそれを実行している)と思うかもしれませんが、これらのことについて、ちょっとした反省をする必要があるかもしれません。自国の規則や習わしを守っていても、教会の教えに反していることはないでしょうか? たとえば、私たちのところで働く信者である協働者の日曜日の務めについて、考慮しているでしょうか?
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