|
みなさん、こんにちは。今回もドン・ボスコの夢を追い続けましょう。
ドン・ボスコは自分の夢を続けていくために仕事を手伝ってくれる人が必要でした。彼はオラトリオにいるとりわけ良い資質を持っている少年たちを選び、勉強させました。その中にジョヴァンニ・カリエロがいましたが、彼は最初の子どもたちの中でミケ―レ・ルアとともに最後まで忠実にドン・ボスコのもとに残ることになります。
ドン・ボスコはオラトリオの生徒たちに気分転換をさせるため、自分の生まれ故郷ベッキのぶどう摘みに連れて行きました。一行は帰りがけに主任司祭に挨拶するためカステルヌォーヴォに立ち寄りました。ドン・ボスコと母が司祭館で談笑している間、香部屋の少年が皆においしいパンを配りました。上級生たちは間もなくこの少年が地下室の鍵を持っていると知り、「ぶどう酒を少し飲ませて欲しい」と頼み、ほかの者も後に続きました。皆の中でいちばん小さく見えたミケーレが近づいてくるのに気づいたカリエロは、ピエモンテ方言で「きみ、名前はなんと言うの?」と聞くと、ルアは「ミケリーノ」と答えました。カリエロはぶどう酒のビンとコップをおいて、「ぼくはジョヴァンニーノ」と言い、親切にルアを出口のほうへ案内し、「ミケリーノ、きみはおいしい水を飲みに行って!」と言うと、すぐに地下室を閉めて事をおさめました。
これは将来ドン・ボスコの後継者となるミケーレと、将来枢機卿となるカリエロの最初の出会いでしたが、二人とも大笑いして、すぐに親しくなりました。そして友情はさらに深まります。それは、ドン・ボスコがカリエロをトリノのオラトリオに迎え入れたからです。
前回はミケ―レ・ルアの話しをしましたが、今回はジョヴァンニ・カリエロのことについて、もう少し書きたいと思います。
1851年11月1日、ドン・ボスコが故郷のカステルヌオヴォ・ダスティにやってきた時のことです。侍者の一人の少年が説教台までお伴をして、説教の間中ずっとドン・ボスコを見つめていました。香部屋に戻ってからもドン・ボスコはその少年がじっと黙ったまま彼を見つめているのに気づきました。ドン・ボスコは少年に尋ねます。
「私に言いたいことがあるみたいだが…そうだろ?」 「神父様、僕は神父様と一緒にトリノ行って勉強し、司祭になりたいのです。」
そう答えた少年がジョヴァンニ・カリエロでした。彼は翌日ドン・ボスコとともにトリノに行きます。
彼は、初めから秀でた才能と陽気な性格をあらわしました。このカリエロがサレジオ会で最初の司教、そして枢機卿となります。またサレジオ会の最初の宣教師としてパタゴニアに派遣されますが、こんなエピソードをご存知でしょうか。
1854年、トリノでコレラがはやりドン・ボスコの若者たちは、隔離病棟や患者の家で奉仕を行いました。8月も終わろうとするある夜、16歳のカリエロは隔離病棟から戻ると具合が悪くなりました。恐らくうだるような暑さが続く中で腐った果物を食べてしまったのでしょう。医師はチフスという診断を下しました。9月の間ずっとカリエロは熱で苦しみました。病状が進むと彼は骨と皮ばかりになり、死を予感しました。診断に来た二人の医師は絶望的だと宣言し、病者の塗油を授けるように勧めました。ドン・ボスコはひどくうろたえました。彼はカリエロのことを心から大切に思っていましたし、何よりも、悲しい知らせを告げる勇気がなかったので、ジュゼッペ・ブゼッティにその役目を頼み、彼は教会にカリエロのためのご聖体を取りに行きました。戻った時、ブゼッティはちょうどカリエロと話し終えたところでした。しかしドン・ボスコは先に進もうとしませんでした。ほかの人には見えない何かを見ているかのように数秒間空を見つめて動かなかったのです。それから病人のベッドに近づきました。彼の中で何かがすっかり変わってしまっていました。つい先ほどまで心を占めていた悲しみと動揺は消えていたのです。
しばらくの間、ブゼッティとカリエロは、ドン・ボスコが部屋に入ってきたとき何を見たのだろうと不思議に思っていました。後日ドン・ボスコ自身が彼らに次のように話しました。
「病室に足をふみいれたとき、私は突然大いなる光を見たのだ。オリーブの枝を加えた真っ白な鳩が病人のベッドに降りてきた。その鳩はカリエロの青白い顔の数センチ上で止まり、額の上に枝を落とした。その直後、私には部屋の壁が開いてはるか彼方の神秘的な水平線へと続くのが見えた。ベッドの周りにはたくさんの今まで見たことのない先住民が現れた。巨大な先住民のようだった。何人かは浅黒い肌に赤みがかった線の入れ墨があった。悲しそうな顔をした二人の巨人が病人の上に身をかがめ、心配そうにそっとつぶやいた。『彼が死んだら、誰がわたしたちを救いに来るのだろう』
この幻視は長くは続かなかったが、私はカリエロが必ず回復すると確信した。」
そして、1859年12月9日、ドン・ボスコが19人の若者に修道会創立の話をすると、カリエロは心に葛藤を抱きながら、中庭を足早に歩き回り、カリエロはサレジオ会の歴史に残る言葉を突然口にします。「修道者になろうがなるまいが、私はドン・ボスコと共にいる」。実際彼らの大半は「ドン・ボスコのそばに残りたい」という強い願望をもっていました。一週間後の12月18日の会合に二人を除いて皆が集まり、サレジオ会が誕生します。
カリエロはルアとともに、サレジオ会の支柱をなしていきます。おもしろいことに気性に関しては、ルアとカリエロは何時も正反対でした。勤勉でいつも変わることなく思慮深いルアと、外交的で熱中しやすく元気いっぱいのカリエロ。しかし二人ともドン・ボスコのためなら火中に身を投じる覚悟がありました。
ドン・ボスコはこの二人の性格をよく見抜き彼らを育てていきます。ドン・ボスコは、どんな性格の持ち主からも、生来の才能を引き出す術を知っていました。
 ジョバンニ・カリエロ |
|
 ミケーレ・ルア |
この二人だけではありません。ドン・ボスコと接した子どもたちはみな、“自分が一番愛されている”と思い、ドン・ボスコのためになら何でもしようと思ったのです。
全てを少年たちに捧げたドン・ボスコ、少年たちもドン・ボスコに100%の信頼を持って応えます。その100%、あるいはそれ以上かもしれない繋がりをわたしはとても羨ましく思います。
そしてドン・ボスコの夢が続いているのは、今もドン・ボスコに魅了された人々が100%の信頼を持って彼とともに彼の夢を追い続けているからだと思うのです。
VIVA DON BOSCO!!
|