新年 2017年
- 2017/01/07 14:52
あけましておめでとうございます。
学校は1月4日からで、生徒は元気に登校してきました。
休みモードから抜け出せない生徒もまだいるみたいです。
どうやら、自分のご絵のようです。
自分がどのような聖人となるのかを表現しているようです。
「若者の聖人、貧しい人の聖人」などの王道もあれば、
「スポーツの聖人」「折り紙をするひとの守護者」というのもありました。
ユーザー「_cdbs1」の検索結果は以下のとおりです。
あけましておめでとうございます。
学校は1月4日からで、生徒は元気に登校してきました。
休みモードから抜け出せない生徒もまだいるみたいです。
どうやら、自分のご絵のようです。
自分がどのような聖人となるのかを表現しているようです。
「若者の聖人、貧しい人の聖人」などの王道もあれば、
「スポーツの聖人」「折り紙をするひとの守護者」というのもありました。
せっかくのクリスマス・パーティーだというのに、朝から雨です。
が、そんな雨もなんのその、8時半集合といっていたのに8時には
子供達は迎えの車を待っていたというのです。
いつもは穴のあいたサンダルや洋服でやってくる子供達も
今日は精一杯のおしゃれをしてきました。
難しい生活環境の中でなかなかオラトリオに参加するのが
大変な子供達ですが、それでも少しでも参加してくる子だけに
招待状をあげました。
ボランティアの先生・カテキスタグループの中高生たちが
この場を盛り上げてくれました。
シスターズは夜を徹してペープサートを作り上げ
クリスマスのメッセージをおくりました。
寄付のいかにも古いおもちゃやぬいぐるみをうれしそうに
抱きかかえている子供達、
家に残っている兄弟姉妹たちのためにお昼の食事を残してもって帰ろうと
している子供達、
一見、うちの生徒達と変わらないような子供達ですが、
心からあふれる笑顔はやはりかなわないかもしれません。
そんな子供達が神様から愛されている存在として
困難な状況におかれていても力強く生きていけるように
手助けできたらと思います。
今日は学期末最後の日で感謝のミサとクリスマス・パーティーです。
ミサの前にクリスマス劇がありました。
小学生のミサは王道のクリスマス・ストーリーでしたが、
中学生は現代風にアレンジしたお話で30分の大作でした。
試験中だったのに関心です。
高校生は先にパーティーをして、締めくくりにミサでした。
水曜日の午後には教職員の待降節練成会を
理事長のグスティーロ神父様にしていただき
心ばかりのギフトを配布しました。
これから2週間のクリスマス休暇です。
先週の出来事ですが、、、、
高校生の黙想会が1泊2日x3クラスが行われました。スーパーコピー
いつもとは違った雰囲気を持つ黙想で
最後には保護者に子供への手紙を用意してもらい、
黙想中に渡されました。
本当は癒しのミサがあるはずだったのですが、
来るはずだった神父様が突然急用のために来られなくなり、
急遽、フランシス神父様にわざわざ車で1時間かけて毎日ミサのために
来ていただきました。
ミサでは幾人かの保護者も参加してくださいました。
短い日数でしたが、有意義のある黙想をすごしたようです。
6月から新学期が始まって以来、やっと中間休みに入りました。
教職員の精神の疲れを癒すために1泊2日の黙想会が行われました。
自分を無にして、自分が何者であるか、
祈りの中で神様の存在に気づく。
夜は自分自身の愚かさや忘れたい出来事を紙に書いて、
祈りのうちに燃し、それで集めた灰で
お互いの額に十字の印をしました。
そしてゆるしの秘蹟を終えた人を他の人が白いタオルで
拭いてあげるという式を行いました。
二日目の朝の瞑想ではファシリテーターも
驚くほど教職員たちは真剣に祈っていました。
最後は神父様が癒しのミサをしてくださいました。
ミサ後、ほとんどの先生が神父様になんらかの癒しをお願いしていました。
これからも癒しの祈りをみんなが忘れずに続けていって欲しいです。
毎年、ロザリオの月には、本校生徒だけでなく、
地域社会の人々と一緒にロザリオ祈りをする機会を設けています。
今年は、近くのショッピング・モールの一階の広場を借りて、
ここで働く従業員、買い物通りに来るお客さんたちと一緒に
ロザリオの祈りをしようと企画しましたが、
開店前の従業員が出勤してくる時間帯が許されました。本校から参加した、
保護者、教員、生徒、卒業生など10名ほどがマリア様のご像の前で、
ロザリオを始めました。
時折、到着する乗り合いバスから降りた人々が通り過ぎて行きましたが、
出勤時間が迫っていたのでしょう、マリア様を称えて一緒に過ごすことは出来ませんでしたが、
マリア様が彼らを守ってくださるように祈りました。
ロザリオが済んで、ふと2階を見上げると、数名の方の姿が見えました。
きっと、心を合わせ、声をあわせ一緒にロザリオを祈ってくださったのでしょう。
マリア様に信頼を寄せたひと時でした。