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ユーザー「_cdbs1」の検索結果は以下のとおりです。

JS Turn Over

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フィリピンにはJSターンオーバーという卒業して行く高校4年生が高校3年生に最高学年としての責任を譲る式があります。
本校でも毎年恒例になっており、今日は近くのホールを貸し切って行いました。主任司祭も途中から来席してくださり、一連のプログラムを終了することができました。祈りで始まり、卒業して行く4年生が3年生に残す本校のレガシーをプレゼンテーションし、ドンボスコとカリタスの精神に行き、普通のすべきことをより良く行うこと、また、他でない神様のためにスポーツも勉強もすること、奉仕するリーダーとなることを誓いました。また、皆が一致して事を行うと、奇跡を起こすことができると後輩達への言葉を残しました。歌、バンド、クラッシック演奏、ダンスと一人ひとり積極的に自分のタレントを発揮していました。

東京は大雪で大変そうですね。
フィリピンは先週からだんだん暑くなってきています。
そのせいか、最近畑の野菜たちが急に成長しだしているような、、、

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このレタスたちは2世代目です。
トウがたった1代目からとった種からできました。


10年前は、サラダ野菜を入手するのは困難で、
しかも値段が高くなかなか食べれませんでした。
ましてや、この暑いフィリピンでレタスが作れるとも
思ってみませんでした。
ここ数年前からヘルシー志向がトレンドとなり、
近くの避暑地でサラダ野菜が作られるようになって、
割と安く入手できるようになりました。

そのうち学校中が畑になったりして、、、

DBAA 番外編~天使に会った~

ある小学校のサッカーチームに23番のゼッケンをつけた体のひときわ小さい生徒がいました。小さい体で物怖じもせずうちの小学6年生のゴールキーパーの邪魔をするのが非常に目立っていました。その学校で働いているブラザーに聞くとまだ小学校2年生で、試合が終わってその子に「上手だったね」と声を掛けると嬉しそうにしていました。

夜、生徒たちを送り出して私たちももうそろそろサンタローザに戻ろうかと考えていると、その子がいたのでまた声を掛けると、そのサッカーをしていた23番の子ではなく、その子の双子の弟でした。
扶助者聖母マリア様が大好きで蛍光のロザリオを首から掛けていました。名前はエゼキエル。友達はカンルーバンの神父様たちとシスターたち(もう私たちは友達になっていました)!好きな聖人の話や信仰の話など、たくさんのことを話してくれました。外で遊ぶ(Play)より、祈ること(Pray)の方が好きなんだとか。
(そして天使かと思えるほどの純粋さ!将来の夢はもちろん神父になること!(司教様か?と聞くと、謙虚に否定していました。)
そして別れ際に、いつかカリタスに遊びに来ることを約束してくれました。
今時あんなに天使のように純粋な子を見たことがないと感動した出会いでした。

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黄色いシャツがサッカーをしていたお兄ちゃんのデビット、ロザリオを首にかけているのが弟のエゼキエル

DBAA 続き

朝、また5時半にマカティに向かい、6時半の教会のミサに参加。
7時のサッカーの試合を観戦しました。
祈りが足りなかったのか、4対1でという大差で負け、高校生たちは心身ともに疲れ切っていました。麦茶を飲ませてリチャージ。次はがんばってくれるでしょう。

友人である日本レストランのオーナーの図らいで、かつ丼を66食分半額で用意してくれました。生徒たちは大喜びで「学食にもこのメニューを置いてくれ」と平らげていました。
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昼からは新たな応援団も駆けつけ、
「ガンバってガンバってカリタス!、行け行けカリタス!、CDBS Viva don Bosco!」とカリタス独特の日本語の応援が。

しかし、怪我人も続出。昨日も1人のバスケットの生徒が鼻の骨を折って救急病院に連れて行きましたが、今日も2人が保健室のお世話になりました。
一人の高校生のサッカープレイヤーが足首をねじった時、近くの小教区の神父様に連れて来られた10人ほどのストリートチルドレン達があっという間にその生徒の周りに駆け寄り、「かわいそうに」と慰めてくれました。
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全部のゲームが終わったのが小学生のサッカーの夜8時近くで、あまりいい成績は残せませんでしたが、個人のチェスで高校4年生がチャンピオンになりました。
来年はドンボスコの生誕200周年の年に向けて、今年の課題を克服して来年はもっといい成績が残せますように。

DBAA. ドンボスコスクール対抗スポーツ大会

今日からDBAA( Don Bosco Athlete Association) フィリピンのドンボスコスクールのスポーツ大会。フィリピン北管区の6スクールがドンボスコマカティに集結し、寝泊まりして朝から晩までゲームをします。バスケットボール、サッカー、バトミントン、チェス、卓球、2年に一度、全国レベルの大会があります。私たちの生徒たちも70名ほどが参加しています。
ただ、みんなドンボスコスクールで、イメージカラーやマスコット(グリージョ)が同じなので、自分のチームを探すのに一苦労です。
大きな違いはユニフォームの前に日本語でグレイウルブスと書いてあることです。

明日まで試合があります。応援団長はシスターズです。

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ミサで開始です

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ナイトゲームもあります

創立20周年記念 その2

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昨日も盛りだくさんのプログラムだったにもかかわらず、朝7時から本校の理事長でもあるサレジオ会Fr.フランシスのミサにたくさんの方が参加しました。
(生徒は勿論ですが)
昨日に続いて卒業生のためのバスケット、サッカー、バレーなどのそれぞれの卒業期対抗の試合があり、
母校でのゲームを久しぶりに楽しみながらプレイしてくれました。卒業生は自分たちの友達を連れてきて、母校を案内していました。設計士、様々な職種のプロの技術者、医者、准教授、料理人、会社員、ファッションデザイナー、歌手など、立派になった卒業生は(まだ最年長で26歳)母校のために自分たちに何かできないかと、いろいろ考案していました。
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夕方は例年はFoundation Nightといってダンスパーティーなのですが、今年は20周年ということもあって趣向を変え、ヨランダ台風の被災者のための本校生徒によるチャリティーコンサートを開催しました。寄付箱がいっぱいになりました。
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幼稚園生から高校4年生までがヴィジョンに沿って決められた学年別の教育目標・テーマを表現するもので、それぞれのタレントを披露してくれました。
第一期卒業生でプロの歌手になったサラがこのイベントに花を添えてくれました。
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最後の3日目は月曜日いうこともあって随分と人も売り場も減っていましたが、小学生はダンス、高校生はバンドのコンテストがありました。
家庭的な雰囲気のうちに盛大な3日間のイベントを終えることができました。神に感謝!

創立20周年記念 その1

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今日からいよいよドンボスコのお祝いのクライマックスの3日間です。
早朝6時から、保護者会主催の歩こう大会. 与えられたミッションを果たしながら、更に様々な障害物をよけながら校内を歩くというもの。 たくさんの親子、友人同士で参加してくれました。
そして正式にFoundation Dayの開催が宣言されると、生徒たちは一斉に移動遊園地やオモチャ売り場、ゲーム、そしてたくさんの食べ物売り場に走っていきました。
ファイル 38-2.jpg 私たちのきゅうり水・麦茶も好評でした。

10時からは体育館でビンゴ大会。保護者会主催で、目玉賞品には来年度の授業料100%と50%というビンゴやIpadなどがあり、もらった人はもちろん大喜び!

また私たちが毎週2カ所に分かれてオラトリオをしている所から、小学校低学年の子どもたちを18名招待し、7年生の生徒たちにその子どもたちの面倒を見てもらいました。より恵まれない人への愛と奉仕、という本校のミッションの実践です。子供たちは普段体験できない乗り物に乗り、校庭を駆け回り、たくさんの食べ物で満足していました。生徒たちも与える喜びを体験し、良いドンボスコの祝日となったようです。
小教区でもたくさんの子ども達が集い(ほとんどが貧しい)、私たちは共同体としておやつを200名分袋詰めして寄付しました。
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夕方5時にはフィールドデモンストレーション(校庭での学年毎の創作ダンス)。幼稚園生は始めの祈りを表現したダンス、小学生はフィリピンの各地のお祭り、高校生は現代的なダンスと約2時間のプログラムが続きました。各学年100人から130人のパフォーマンスは見ごたえありでした。このプログラムをフィリッピンのメージャーテレビ局、GMAが録画に来校しました。少しだけ撮って帰られるかと思いましたが、最初から最後まですべてを録画し、インタビューもしていました。これは本校を広く宣伝したいという保護者会の企画でした。
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ドンボスコの祝日

今日はドンボスコの祝日のため、国民の祝日、、、というのは間違いで、
チャイニーズニューイヤーのため、2か月前ほどに大統領から休みになるとのアナウンスがありました。
そのため急遽予定していた創立記念行事をずらして2月1日に。
チャイニーズでもないのに、、、とぼやいている人はたくさんいましたが、
今日は、どこのサレジオ関連の小教区、学校施設もお祝いで大忙しの日です。
そんな中、フィリピンで数少ない私たちに数の多いサレジオ会のグループからお祝いのお誘いが来ます。
今回は3か所から誘われましたが、全部には行けないので2か所に分かれて行きました。一か所は隣の小教区での前任司教様(サレジオ会員)によるミサ。
もう一か所は隣の小教区の次にお世話になっている、カンルーバンという3つのサレジオ会の共同体(学校と養成)がある所から、学校の創立50周年祝賀終了ミサがあり、最近着座されたばかりの司教様が司式されるということで参列してきました。夕方5時半からの野外ミサでいい雰囲気でした(蚊に襲われましたが)。

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               司教様と写真、、、、暗すぎて見えません

Fr.ブラガ 列福調査

ファイル 36-1.jpg 今日は神の僕サレジオ会宣教師Fr.カーロ・ブラガの列福・列聖調査開始式がフィリピン・パンパンガのカテドラルで行われました。

1889年5月23日 イタリアで誕生
2歳のときに父親はアメリカに移住、行方不明
6歳のときに母親は病気で死亡
小学校までサレジアンシスターに育てられる
サレジオ会カレッジでドンボスコの後継者ドン・ルアに逢い、
1904年サレジオ会入会
1914年司祭叙階、1919年中国宣教、
1930年中国管区長、共産党が政権を取った中国から1953年フィリピンへ。1958年~1963年フィリピン準管区管区長
楽観主義と熱意にあふれたFr.ブラガは特にフィリピン人の邦人召命司牧に力を注ぎ、彼の死の前には28人のフィリピン人サレジアン、66名のアスピラントが生まれた。

1909年の終生誓願後、派遣先である聖アロイジオ・オラトリオでの院長は尊者チマッティ神父でした。

祝賀ミサに参加できなくて残念ですが、写真を頂いたので、、
(本人に許可済み)
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昨日から本校の聖堂に安置している3福者の聖遺物も今晩から隣のサンタローザ教会に移動です。朝から生徒たちがひっきりなしに訪問していました。

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3人のサレジアン青少年福者の聖遺物巡礼

ドンボスコ生誕200周年記念の一環としてサレジオ会フィリピン北管区は12月からサレジアンの青年福者の聖遺物とその胸像を管区内のサレジオ会関連小教区・施設に回しています。その聖遺物がサレジオ会小教区のすぐ近くにある本校にも回していただけるということで、校長と教員、生徒、そしてシスターと10数名でドンボスコ・マカティスクールまで、小教区の神父様とともに迎えにいきました。それから本校に到着したのは朝の10時頃。幼稚園生から高校生までみんなで炎天下の中、運動場に整列して聖遺物を迎えました。

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神父様のお話しと祝福をいただいてから聖遺物は聖堂へ移動。学年毎に聖遺物の前で祈りを捧げ、宗教の先生が交代で福者について、聖遺物について話しをしていました。侍者の高校生は交代で聖遺物のそばでずっと奉仕してくれました。

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カリタスボスコニアンとして、聖人になるために必要なのは、ただ自分の務めを果たすことを常日頃、生徒たちに教えています。生徒たちがその教えを胸に刻んで、そしていつか、彼らのような聖人になれますように、祈りを捧げました。

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