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2013年03月の記事は以下のとおりです。

復活祭

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今日はイエス・キリストの復活を記念する大きなお祝いでした。
朝から喜びの雰囲気に満たされ、朝食時にはかわいい卵型の
手作りカードを一人一人いただきました。
卵は新しい生命を象徴しています。

通常聖堂には十字架で亡くなったイエスの姿が多く見られますが、
わたしたちの聖堂の十字架には復活されたイエスが手を広げています。
キリストは、人々の罪、エゴのために死に渡されました。
もしそれで終わってしまっていたら、彼の生涯は失敗だったと
言い継がれていたことでしょう。
けれども、彼が復活されたという事実が、彼の生前の教えと
行いのすべてが真実であることを保証してくれます。
さらに「世の終わりまでいつもあなた方と共にいる」とのイエスの
約束は、わたしたちがどんな暗闇にあろうとも、
希望の光を与えてくれます。

今日で2012年度が終わるにあたり、この一年いただいた神様からの
恵みと祝福に感謝する一日ともなりました。
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あの方は、ここにはおられない。

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今日の福音は、朝早くイエスの遺体に香料を塗りに行った婦人たちが、
空っぽになった墓を見てうろたえる場面が描かれている。
イエスが誰かの手によって墓から取り去られた…。悲しみに沈む婦人たち。
ところがそこに「輝く衣を着た二人の人がそばに現れ」、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」と告げる。

思いがけない不幸に見舞われたとき、私たちも
イエスのいない墓の中でただ嘆いているだけのことがある。
「こんなことをしても仕方がない」「なんの役に立つのか」
「どうせ、無駄だ」…悲観の穴の中に閉じこもってしまう。
生きておられるイエスを、死者の中に探すようなものかもしれない。
イエスは復活して、すぐそこにおられるのに。
すべてが空しく、先が見えない状態にあるときも、
勇気を持って扉を開き、外に出よう。
主は、墓の外におられるから。

聖なる金曜日

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今日はイエスの死を記念する日でした。
この40日間準備をしてきましたが、
今日明日明後日とクライマックスを迎えます。

普段の金曜日には個人的に「十字架の道行」の祈りを
しますが、今日は、イエスが亡くなったとされる
午後3:00に聖堂に集まり祈りを捧げました。
今日の十字架の道行はいつもと違い、わが子の道行を
見守る母マリアの視点で進んでいく道行でした。

わたしたちのすべての罪、過ちを身に負って、
何の罪もないイエスが、最も重い罪人に課せられる
十字架刑を引き受けられました。
すべてを与えつくしてくださったキリストに
感謝をささげた一日となりました。

イエス、弟子の足を洗う

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ヨハネによる福音13章1-15節

今日はカトリックの暦の上では聖木曜日と呼ばれ、
イエスキリストが死に渡される前晩、弟子たちとともに
最後の晩餐を行われたことを記念する日である。

今日の福音ではイエスが弟子たちの足を洗う場面が描かれる。
それは毎年祝われる過ぎ越し祭の食事であったが、その日の
イエスは少し様子が違っていた。
イエスは食事の席から「立ち上がって上着を脱ぎ、
手ぬぐいを取って腰にまとわれ」、「たらいに水を汲んで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた」のだ。
これは当時奴隷のする仕事だった。弟子たちが息をのんで
イエスの一挙手一投足を見つめていた様が想像できる。
ペトロはイエスが自分の足を洗うことを拒んだ。
(とんでもない!)
イエスの善意を受けとることよりも、イエスのために
何かをして差し上げることこそ愛だと思っていたのかもしれない。
しかしながら、神からの愛に素直に心を開くとき、
わたしたちは自分を人に与えるほどの愛を実践できるようになる。
極みまでわたしたちを愛されたイエス。その愛に満たされてこそ、
真心から互いに奉仕しあうことが可能になるのかもしれない。

裏切りの予告

  • 2013/03/27 21:20

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ヨハネによる福音 13章21-33,36-38節

今日の福音の中で、イエスはご自分を裏切る
一人の弟子について予告している。
3年間、共に歩んだ者に裏切られるという
ひどい屈辱にも甘んじられたイエス。
「はっきり言っておく。
 あなたうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」
イエスは自分を裏切ることになるユダを弟子の一人として
受け入れていたのだ。神の寛大さは計り知れない。

ユダはイエスのことが憎くてしたわけではなかったと思う。
金に対する執着からか、自分の名声のためか、
自分でも何をしているのかわからなくなっていたに違いない。
イエスが十字架刑に処せられたのを知って、
ユダは自責に念に耐えられず、
自ら命を絶ったことからもわかる。

自分勝手な行いが、思いもしない失敗を招き後悔することが多々ある。
非常に落ち込んだりするが、そんな時もイエスはそんな人間の弱さを
温かい目で受け入れてくれているような気がする。

アポリナリス総長、ローマへ出発

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今日は日本管区創立記念日。14歳の誕生日を迎えました!

1月初めにいらっしゃった総長シスター志村は九州の各支部の
訪問を終えて、今日ローマの本部に向けて出発されました。
名残り惜しいですが、残りの修道院を視察訪問するために
5月に来られます。
雨の降る中でしたが、近隣の支部からも大勢駆けつけました。
強硬なスケジュールをこなし、シスターたちとの家族的な
交わりを深めながら、母としてたくさんの霊的な示唆を
与えてくださったことに心から感謝しながらお見送りをしました。
また逢う日まで!

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第二修練体験報告会

  • 2013/03/23 20:15

今日は、昨年12月に終生誓願を立てた二人が
第二修練を終えるにあたって、体験報告会を
してくれました。

この一年、修練院での生活を通して、
アントニオ神学院に通って様々なことを学び
1か月の霊操に入って、キリストとのより深い出会いを体験し、
夏には被災地に長期ボランティアに行き、
多くの出会いを体験してきたようです。

12月誓願を立てた後、Sr.谷口はカリタス会の
事業所の体験として、宮崎にある養護老人ホームと
奄美にある児童養護施設で体験学習をしてきました。
Sr.岩崎は看護師なので、長崎の病院でホスピスでの
看護の在り方について学ぶ機会をいただきました。

二人ともこの一年いただいた数え切れないほどのお恵みに
感無量といった感じで、貴重な体験を分かち合っていただいた
わたしたちも、心から神様に感謝を捧げました。
この春、彼女たちは新しい任地に向かって飛び立ちます!

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桜七分咲き

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おととい咲き始めたとの情報を得、
今日駆けつけてみると、すでに七分咲きになってました。
日本管区設立にあたって植えられた記念樹。
10年余りの月日を経て、こんなにも立派で美しい枝ぶりに!
満開の桜を見られるのはもうすぐです。

聖ヨゼフの祭日

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今日は聖ヨゼフの祭日で、ヨゼフ様を会の保護者としている
わたしたちにとって大きなお祝いの日です。
この日を迎えるために9日間特別な祈りをしてきました。

ヨゼフ様はマリアの夫として神から特別な使命を受け、
イエスを中心とする家族の長として重要な役割を果たしました。
とても謙遜な方だったのか、聖書にはほんの少ししか記述がありません。

管区本部の聖堂の後ろには、とても大きなヨゼフ様の像が置かれています。
この御像は創立者カヴォリ神父がイタリアから持ってこられたもので、
木造で中はくりぬかれていて、以前、その中に作られた当時のイタリア語の
新聞が詰め込まれていたのを発見して感動したものです。

家族の柱なる聖ヨゼフ様の取次によって、ここ管区本部修道院が、
人々を温かく迎える愛にあふれた家族となることができますように。

メシアはガリラヤから出るだろうか

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今日の福音の中で、イエスキリストがいったい
誰であるのかという論争が起こる。
ある人たちは頭から否定し、考えを曲げない。
「メシアがガリラヤから出るだろうか」
「議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じたものがいるだろうか」
「ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる」
人の言い伝えに捕らわれて、偏見の域を出ない。
そうやって自分たちにとって都合の悪いイエスを死に追いやっていく。

わたしたちの生活にも当てはまるかもしれない。
自分の主張を裏づけるものには喜んで耳を傾けるが、
相反するものには耳を閉ざし、目を閉ざし、心を閉ざす。
原発のことにしても、改憲のことにしても…。
いろいろな側面からの声、考え方に耳を傾けながら
真実を追い求めていくべきなのかもしれない。
すべてのことに開かれた姿勢を祈り求めていきたい。

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