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2013年12月の記事は以下のとおりです。

大晦日

今日は大晦日。新しい年まで、あとわずかとなりました。
皆さんいかが過ごされましたでしょうか?

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ここでは、夕方にサレジオ会のマルシリオ神父様司式によるテ・デウムが
行なわれ、ご聖体の前で過ぎた一年いただいた沢山のお恵みに感謝する
ひと時を過ごしました。神父様のお話しの中で、“沢山の恵みに感謝”と
いうだけでは足りない、一つ一つ思い起こすことが大切、そうすることで、
今まで恵みだと気がつかなかったことへの感謝の念をいだくことが出来る
とお話しくださいました。
夕食は恒例の年越しそばをいただき、過ぎた一年のお互いの労をねぎらい、
感謝を表しました。

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どれが多いかな~(笑)

皆様、今年一年、皆様を通していただいたすべての恵みにも感謝します。
来る2014年も、どうぞよろしくお願いいたします!

幼子殉教者

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第1朗録 使徒ヨハネの手紙1章5節~2章2節
福音朗読 マタイによる福音2章13-18節

主の降誕の喜びの祝いのわずか3日後に、
こんな悲惨な出来事の記念日を祝うとは…。
イエスの誕生を不快・脅威に思ったヘロデ王は、
ベトレヘム周辺の2歳以下の男の子たちを殺害してしまう。
何という残酷な話だろう。
この幼子たちは、キリストのために命を落とした
最初の殉教者たちとして記念される。

しかし、よく考えて見ると、私たちの中にもこういった罪の種、
心の闇の部分を持っている。
時に人の成功が気に入らないとか、喜べなかったり、
眩しく見える真理の光を遠ざけ、
闇の中を歩くことに甘んじる人間の弱さをもっている。

でも神は、それを断罪なさらない。
むしろ、そのことを認めることの大切さを強調する。

「自分に罪がないというなら、自らを欺いており、
真理は私たちのうちにありません。
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、
罪を赦し、あらゆる不義から私たちを清めてくださいます」と。

自分の弱さ、罪深さを恥じるのはよいが、
そこに留まり続けるなら、イエスとの関係は築けなくなる。
なぜなら、彼は罪人を救うために来られた救い主なのだから!

闇に住む民は光を見た!

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昨日はここ管区本部にたくさんのお客様をお迎えし、
クリスマスの夜半ミサと茶話会が行われ、喜びに
満たされました。特に、今年は修道院のご近所の
方々を大切におもてなししようと心がけ、準備を
進めてきました。
ミサのプロローグの天使の舞はベトナムからの志願者
の演出で、清らかな祈りの雰囲気を作ってくれました。
茶話会の中では今年初めてトロンボーン奏者たちによる
飛び入りもあり、子供たちは舞台前で大はしゃぎでした。
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詳細は後日あらためて写真とともにお届けします。

幼子イエスの誕生を祝う今日、大切な記念が行われました。
昨年のクリスマス頃から具体的に関わってきた武蔵野ダルク
の女性ハウス(シェルター)の開所式が行われたことです。
それは小さなアパートに後援会のメンバー数人が集って
ささやかに行われました。
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祝別式の司式をしてくださったのは、現在武蔵野ダルクの
事務所を置かせていただいている高幡教会の高木神父様。
大忙しだったクリスマスの行事を終え、ほっと一息つく
ところでしょうが、ダルクの記念すべき第一歩を共に
してくださいました。聖歌を歌い、聖書に耳を傾け、
神父様の励ましのメッセージを伺い、各部屋を祝別して
いただき、最後には神父様の音頭で万歳三唱をしました!

ここまでたどり着くために、幾多の困難を乗り越えてきた
代表の渡辺夫妻の喜びもひとしおだったことでしょう。
まだ部屋には机もイスもないので、段ボールの上にケーキを
置き、それを取り囲んで慎ましやかにお茶をしながら、
喜びを分かち合いました。

みんなに促されてケーキカットを!
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この女性ハウスが救いを求めて来る人たちの
希望の家となりますように…。

開所の記念にみんなで。額におさめられたダルク創設者で
あるメリノール会のロイ神父様もご一緒に。
天国で今日の日を喜んでくださっていることでしょう。
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御子イエスは神からのプレゼント

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第1朗読 サムエル記下7章1-5、8-12,14-16節
第2朗読 ルカによる福音1章67-79節

今日はクリスマスイブ。
幼子イエスの誕生を祝うミサが夜半に行われる。
クリスマスにはだれもがプレゼントを用意する。
大切な人のために、何がいいかを思いめぐらし、
店に足を運び、時間をかけてより良いものを探し、
懐を痛めるのを喜びとする。
相手のうれしい笑顔を思い描きながら、
ある人は一週間前、もしかしたら一カ月も前から
準備に取りかかるかもしれない。

イエス・キリストの誕生は、神から私達への最高のプレゼントだ。
それも相当スケールの大きな準備をもってなされた。
何しろ預言者の口を通して何世紀も前から伝えられてきたのだ。
およそ九世紀という年月、神は人類へのプレゼントをするために
準備の時を持たれた。
それほどに私たちは神に想われ、神に愛されているのだ。
なんという忍耐。なんという入念さ。なんと有難いこと…!

いよいよクリスマス!

今日は24日クリスマスイブの茶話会の準備・飾り付けを
シスターズ総動員で行いました。ご近所の方たちも大勢
参加してくださるようで、とても楽しみです。

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午後は隣接する東京つぼみの寮(乳児院)のクリスマス会で
スモールクワイアは歌のプレゼントをして参りました。
ご家族が集うクリスマス会です。「君は愛されるため生まれた」
つぼみのシスター職員のリクエストである「Don’t be afraid」、
そして最後は「花は咲く」を歌いました。いろいろな問題で、
ご家庭で養育することが困難な赤ちゃん達をお預りしていますが、
将来かけがえのない花を咲かせていくことができますようにと
祈りを込めて歌いました。

福島の被災地コンサートツアー終了

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スモールクワイアが福島より帰ってきました。
13日から15日にかけて幾つかの仮設住宅の集会所、
幼稚園、教会でクリスマスの歌を歌ってきました。
多くの素晴らしい出会いを体験し、再会を喜び、
被災地の現状を肌で感じることができたことは、
被災された方々のための祈りをより一層深めて
いくためにも貴重な恵みでした。

後日、このコンサートツアーの詳細を、
皆様にお伝えしたいと思います。お楽しみに!

ニュースレター発行!

  • 2013/12/12 22:26

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今日は武蔵野ダルクのニュースレターの発送作業が行われました。
昨年のクリスマス号以来の発行なので、第2号です。
ここまで来るのは本当に長く険しい道のりでした。
ようやく9月1日に後援会が発足したばかりで、まだまだ
活動が軌道に乗るまでは多難な道のりだと思いますが、
私たちには神様が付いているので、希望があります。
どうぞ、皆様も応援をよろしくお願いします!

明日から3日間、スモールクワイアは福島へと出かけます。
今までは石巻や南三陸中心に活動してきましたが、
今回初めて福島に歌いに行きます。
どんな出会いがあるのでしょう。たのしみです。
わたしたちの旅を神が祝福してくださいますように!

少年院のクリスマス会

今日、スモールクワイアは関東医療少年院の恒例のクリスマス会
に参加し、歌を歌って参りました。このクリスマス会はキャンドル
サービスや牧師さんのお話し、ゲストが奏でる音楽のひと時を
過ごす午前の部と、子どもたちが主体的に劇をしたり、歌やダンス、
コントを披露する午後の部があり、私たちの出番は午前の部20分間。
社会や家庭の歪みに傷つき、ふと道を誤ってしまった子供たち、
そのはけ口を間違った方法で求めてしまったであろう彼らの上に、
神様の恵みと祝福を祈りながら心をこめて歌いました。

他のゲストの方たちの歌やオーボエ、ギターの演奏も心に沁みる
ものがありました。やはり、美しい音楽は人の心を癒すものだと
つくづく実感。今年は、シスターたち手作りのクリスマスカードと、
温かい靴下のプレゼントを携えて行きました。
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心と体が少しでも温まることを願って…。

新しいシスターたちの誕生!

  • 2013/12/08 20:24

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今日はここ管区本部にて、2名の初誓願式が行われました。
式の司式をしてくださったのは、初誓願者のご親戚にあたる
広島教区の前田万葉司教様。自分の人生を神に捧げるという
ことの意味を、殉教の花として知られる椿の花に譬えた
心に染みいるお説教をしてくださいました。
初誓願者のご両親、ご家族、ご親戚、友人、恩人、知人、
サレジオ家族の神父様やシスター方のご参列をいただき、
また、3年ぶりの初誓願式とあって、カリタス家族は大きな
喜びに満たされました。
どうぞ、新たな歩みを始めるこの二人のシスターたちが、
キリストの花嫁として、神と人々への大きな愛の奉仕の道を
誠実に、喜びをもって歩み続けることができますよう、
どうぞお祈りください。

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シスター崎枝千加(左)とシスター真倉結花(右)

パンを増やす奇跡

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今日の福音の箇所は、イエスの憐れみ深い人間性と
希望をもたらす神性がにじみ出ている。
癒しを求めて集まってきた大勢の病める人たちに対して
イエスは言われた。

「群衆がかわいそうだ。
もう三日も私と一緒にいるのに、食べ物がない。
空腹のままで解散させたくはない。
途中で疲れ切ってしまうかもしれない。」

人間的な必要に同情される神…。
ここであの有名なパンと魚を増やす奇跡を行わうのだが
イエスのなさり方は、神の偉大さを一方的に示すものではなく、
人間側の貧しく小さくとも誠実な貢献を待っている。
「パンはいくつあるのか?」と弟子たちに問う。
全能の神の子なのだから、別にいくつかのパンがなくても
奇跡を行なえたに違いない。

人々はパンを食べて満腹し、体も心も満たされた。
私たちが真の喜び、深い喜びを手に入れるためには、
貧しさと空虚さを体験する必要があるのかもしれない。
イエスと共にいるために、3日間も食べ物がない状態を
甘んじた大勢の群衆のように。

簡単に手に言えることのできる幸せ、快楽、満足感は
心の奥深くまで満たす喜びを与えることはないと思う。

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