今年度最後の日
- 2014/03/31 21:59
- カテゴリー:今日の出来事
今日はとても穏やかな天気に恵まれ、
晴れ晴れとした気持ちで年度を締め括る
ことが出来たのではないでしょうか?
管区の記念樹も満開となりました!
今年度、皆さまを通して、出来ごとを通して
いただいた神様からの恵みに感謝いたします。
明日からもまたこの“居間”でお会いしましょう!
2014年03月の記事は以下のとおりです。
今日はとても穏やかな天気に恵まれ、
晴れ晴れとした気持ちで年度を締め括る
ことが出来たのではないでしょうか?
管区の記念樹も満開となりました!
今年度、皆さまを通して、出来ごとを通して
いただいた神様からの恵みに感謝いたします。
明日からもまたこの“居間”でお会いしましょう!
つい先日、3月25日に16歳を迎えた管区設立記念樹の
桜が今日5つ以上咲きまして、開花宣言です(笑)
朝には2つしか咲いていませんでしたが、日中ぐんと
気温が上がり、午後には蕾がほころびました。
満開になると、それはそれはきれいですよ!
マタイによる福音5章17-19節
人間の一番深い望みは自由であることだと言われる。
それが人間に尊厳を与えるものである。しかしながら、
この自由がよく履き違えられる。自分のやりたいこと
すべてを行なうこと、自分の好きなもの全てを得ること、
それが自由の本質であると思っている場合が多い。
しかし、その行き着くところは、そのものの奴隷となることだ。
それなしには生きられない、つまりそれに縛られる結末となる
ことがしばしばである。
イエスは、当時、掟を廃止するために来たと誤解されたが、
今日の福音で宣言されているように、「廃止するためではなく、
完成するため」に来られた。イエスは私たちが本当の自由を
得る事を望んでいる。本当の自由とは、人に自分を自由に
与えることの出来る人。人のために自分の立場、計画、メンツ
さえも自由に捨てることのできる人だと思う。かなり難しい
課題であり、一生をかけて獲得していくものかもしれない。
2014年3月24日の午後、東京修学志願院の
聖堂で4名の志願者受け入れ式が行われ、
近隣支部のシスターたちも大勢参加する中、
喜びと希望に満ちた式となりました。
彼女たちの召命の歩みを見守り、これからも
お祈りと応援をよろしくお願いいたします!
昨晩、サレジオ会のマルシリオ神父様による
教会の社会教説の勉強会が行われました。
教会が社会問題に関してどのように関心を示し
歴史を通じてどのような発言をしてきたのか、
今の時代の社会問題におけるカトリック教会の
教えについて、とてもわかりやすく、また熱の
こもった講義を伺うことができました。
とくに、日本語訳が待ち遠しい教皇フランシスコ
の回勅「福音の喜び」についての説明を聞き、
貧しい人々を大切にすることの重要性について
改めて認識する機会となりました。
今日は3月19日。本会の保護の聖人の一人である
聖ヨゼフ様の祭日で、二人の志願者が修練志願者と
して受け入れられる式が行われました。2年前に
ベトナムから来たフックさんとホワイさん。
今ではとっても日本語が上手になり、これから
本格的に本会の歴史や精神を学んでいくことに
なります。どうぞ、二人が最後までシスターへの道を
歩み続けることができるようお祈りをお願いします。
夜は聖ヨゼフの生涯とその時に思いをはせる小さな
集いが行われました。イエスの誕生を巡る聖書の
数節が読まれた後、生前創立者が3月19日に行なった
説教が朗読されました。そのあとヨゼフ様について
の楽しいゲームを行ない、チームごとに競いました。
みんな実に芸達者です!
様々な葛藤を謙遜と沈黙のうちに捧げながら、
神様から託されたイエスの養父としての使命を
果たされた聖ヨゼフ様に倣っていきたいと思います。
第1朗読 エステル記C12 14-16,23-25
福音朗読 マタイ7章7-12節
今日の福音は、私たちが祈るときの姿勢を示してくれる。
神に必死に願い求めるなら、必ずこたえてくださる。
ただ、必ずしも私が望んだようにではないかもしれない。
「求めなさい。そうすれば求めたものが見つかる」とは言われない。
「探しなさい。そうすれば探したものが見つかる」とは言われない。
門をたたいて開かれるが、そこには想像もしなかったものを発見する
かもしれない。
天の父は、求める者に、必ずしも求めた物ではないかもしれないが、
「良い物」をくださると書かれている。
第一朗読の中でエステルも、「私に勇気をお与えください。
このわたしに雄弁な言葉を語らせ、…」と祈るが、
王のみ前に出た時、恐ろしさの余り血の気が失せてよろめき、
倒れてしまった。しかしながら、そんな弱々しさがかえって
王の同情心を呼び起こし、最終的に彼女の願いは聞き入れられた。
神に祈って聞き入れられなくても、すぐに諦めたり、失望したり、
呪いの言葉を吐くのではなく、時を待つ必要がある。
いつの日か、それが自分にとって「良い物」であったことに気づく
時が来ることを信じながら…。
今日は東日本大震災を追悼する日となりました。
午後2:30から四谷のイグナチオ教会で行われた
祈りの集いに参加し、福島の同慶寺とのスカイプ
による中継で、心を一つに祈りを捧げました。
テゼの歌に始まり、福音の朗読、そして2:45から
黙祷を行い、2:46、イグナチオ教会の鐘楼と、
同慶寺の鐘が同時に鳴り響き、あの日のことを思い出し
涙があふれました。その後同慶寺での法要に私たちも
心を合わせ、最後には田中徳雲住職が奏でるギターで
「シャンティ」-大地の祈り-を共に歌いました。
そのあと引き続き「わすれない福島」という
ドキュメンタリー映画を見、あらためて原発
事故の残した傷跡の大きさを痛感しました。
6:00からイグナチオ教会の主聖堂で追悼・
復興祈念ミサが幸田司教様の主司式で行われ、
本当に大勢の人が集まり、心を一つに祈りました。
ミサの冒頭、福島から自主避難されている
Yukariさんが全身全霊で歌われた「My life」が、
脳裏に焼き付いています。
私たちは聖歌隊の奉仕をさせていただき、
これからも被災地に思いを寄せ続けながら、
自分たちにできる支援をしていこうと心を
新たにしました。
今日から四旬節。
カトリック教会の暦の中で、キリストの受難と死、
復活の神秘を深く黙想する季節の始まりである。
旧約時代、回心のしるしとして、灰をかぶって自分の罪を
悔いていたことから、教会では今日ミサの中で頭に灰を
受ける。
四旬節は特に3つのことを大切にするよう呼び掛けられる。
祈り、節制、愛のわざである。
人はとかく良いことをするとき、人に見てもらいたかったり、
ほめてもらおうとする。今日の福音の中でイエスは言う。
「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない」
「祈るときには、奥まった自分の部屋に入って祈りなさい」
「断食をするときには、沈んだ顔つきをしてはならない」
人からの評価が得られず落ち込んでしまうとき、こちらの善意が
理解されず憤りを感じる時、イエスの言葉を思い出そう。
「隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」
この世に積む宝はいつか朽ち果てる。天国に宝を積む気持ちで
この四旬節祈りと節制、愛のわざに励んでいきたいものである。
昨日から今日にかけて各支部で使徒職に励む
有期誓願者が一堂に会し、練成会が行なわれました。
同じ世代の若いシスターたちが久しぶりに再会し
とてもうれしそうでした。今年度最後の集いという
ことで、彼女たちを励ます会が行なわれ、そのお礼
として、また日々自分たちの召命のために祈ったり
励ましてくれる会員たちに感謝をこめて、歌の
プレゼントをしてくれました。
今日は、志願院で感謝の集いが行われました。
次のステップに進む志願者たち(ベトナム人4名、
日本人一名)が、一年の感謝を込めて、歌や踊り、
習ってきたピアノの成果を発表しました。
とりわけ一人ひとりのスピーチには感動しました。
とっても上手になった美しい日本語で、全く違う
文化との出会いから来る戸惑いや不安、いつも
導いてくれた神様の働きと、支えてくれた多くの
人たちへの熱い思いが語られ、多くのシスター達が
涙をぬぐっていました。
劇「ベルナデッタ」は脚本も現代版というか、
カリタス版にアレンジし、人数以上の登場人物が
いるので、一人何役もこなし、警察を演じていた
次の瞬間、マリア様になっていたりと、あまりの
早技に笑ってしまったり。とにかく、見ごたえの
あるものでした。
昨日今日と召命の道を喜びのうちに歩む若者たちの
姿にこちらも元気をもらいました! 最後まで
この道を全うできるようどうぞ皆様もお祈りを
よろしくお願いします。