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2014年05月の記事は以下のとおりです。

聖母訪問の祝日

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今日は聖母月最後の日。
「あなたは神の子を身ごもるだろう」とのお告げを受けた後、
同じく恵みにより、年老いて懐妊した従兄弟のエリザベット
を訪問したことを記念する聖母訪問の祝日にあたります。

自分の身に起きたことへの不安と喜びを携え、山道を急ぐ
若きマリアの心中はどのようなものだったでしょう。
エリザベットに出会ったとき、胎内の子が喜び踊ったと。
神に祝福された女性たちが、神に託された使命を互いに
確認することが出来た出会いとなりました。
マリア様に倣い、私たちも人を助けるために臆することなく
“山道”を急ぐ人になれますように!

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この一カ月食堂に掲示されたマリア様へのメッセージカードは
日に日に増え、素敵な花園となりました。昨晩はこの1ヶ月間
捧げてきた霊的花束を燃やしながら感謝のロザリオを祈りました。
天にのぼる煙と共に、私たちの祈り、願い、小さな犠牲が神の
もとに届けられたことでしょう!
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EM石鹸カット作業

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EM石鹸をつくって二日目、やわらかめに固まった石鹸を
カットする作業が行われました。想像に反して非常に
スムーズに切れ、包丁に石鹸がくっつくということも
ありませんでした。カットされた石鹸は風通しの良い
所に置かれ、しっかり乾燥させます。実際使用できる
ようになるまでに1カ月かかります。
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EM隊長は、一日に一人で5回の作業を行なったという
ギネスものの記録保持者です。今回はみんなで分担して
行なえてよかったですね。
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皆さん、おつかれさまでした!

EM石鹸づくり

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今日は一日かけてEM石鹸作りが行なわれました。
汚れ落ち抜群で、体にも環境にも優しいEM石鹸。
このところ友の会でのバザーでも人気が高く、
次回のバザーに向けて沢山作る必要が出てきました。

牛乳パック2本分の石鹸をつくるためには、およそ
1時間かかり、30分もかき混ぜる必要があるため
いくつかのグループに分けて、時間帯を決め、
EM担当のシスター(通称EM隊長)の指導のもと
みんなで順番に協力して行いました。
その模様をお届します。

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なお、2,3日後、やわらかめに固まったら
石鹸の大きさにカットします。

碑文谷教会バザー

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今日はカトリック碑文谷教会のバザーに行ってまいりました。
イエスのカリタス友の会も毎年出店させていただいています。
友の会というのは私たちの宣教活動、特に海外の貧しい宣教
国で働いているシスターたちの活動を支援するボランティア
団体です。おかげさまで年に10回ほどのバザーを行なうこと
ができるほど、多くの方々に物品の提供をいただき、本当に
感謝です。今日はお天気にも恵まれ、かなり気温も上がりまし
たが、友の会事務局メンバーが一丸となって協力することが
できたバザーとなりました。その模様をお届します。

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シスターたちの手作りケーキ・クッキー

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人気の高いコーナーは子ども服

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燦々と陽を浴びながら頑張るシスター!

扶助者聖マリアの祭日

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今日はサレジオ家族の保護者である扶助者聖マリアの祭日です。
聖母マリア様はもちろんお一人ですが、彼女の徳を記念して
いろいろな称号で祝われます。1814年、ナポレオンに幽閉
されていた教皇ピオ7世が解放されたことの記念として扶助者
聖マリアの祝日が制定されました。ですから、今年はちょうど
200年祭というところでしょうか。

数日前ブログでもお届した中庭のマリア様のところへ行ってみると
つぼみだったツルバラが美しく咲き誇っていました。Ave Maria!!

キリストはぶどうの木

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第1朗読:使徒言行録15章1-6節
福音朗読:ヨハネによる福音15章1-8節

今日の福音で神とイエス、そして私たちの関係が
農夫、ぶどうの木、その枝であると描かれている。
「ぶどうの枝が、木につながっていなければ、
自分では実を結ぶことができないように」、私たちが
イエスにしっかりと結ばれていなければ、まさに、
全ての出来ごとは空しいものとなってしまう。
それなのに、人はとかく自分で何とかしようとする。
そして自分の成功に満足して神に感謝したりする。
頑張らなければ救われない、あるいは自分が頑張ることが
神のみ旨にかなうといつの間にか思いこむこともある。
しかし、いつもこの言葉に戻らなければならないと思う。
「わたしを離れては何もできない」・・・
わたしが持っているものは全て神様が備えてくださったもの。
健康も、時間も、才能も、仕事も、友人も、家族も、成功も…。

旧約時代の考え方は、救われるためには、いかに掟を守り
沢山のいけにえを捧げ、素晴らしい行いをするかにかかっていた。
「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは
救われない!」と言われていた。

自分が無であることを悟り、絶えず神の助けを祈り求め、
そして神に栄光を返しながら生きていくところに、本当の
幸せがあると思う。

喜びと感謝の一日

先日、高幡教会のさつき祭に参加してきました。
ミサで開始されましたが、初代の主任司祭である
ロアゼール神父様司式で、高幡教会の高木神父様、
八王子教会の森神父様との共同司式で行われました。
ボーイスカウトやガールスカウトの子どもたちが
たくさん参加していて、とても賑やかなミサでした。
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そのあと幼稚園園庭でバザーが行われ、私たちは
武蔵野ダルクのために応援手作りパウンドケーキを
持っていきました。
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教会内によき理解と支援の輪が広がることを願いつつ
ダルクのニュースレターも一緒にお渡し致しました。
39回目となる伝統的なさつき祭、想像以上に大々的な
イベントで驚くとともに、そこでのいろいろな方との
出会いに感謝しながら、帰途につきました。

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午後は碑文谷教会で行われた叙階50周年の溝部司教様、
叙階60周年のシモンチェリ神父様をはじめ、叙階や誓願
記念を迎えられたサレジオ会員のお祝いのミサと祝賀会に
参加しました。仙台教区、高松教区の司教となられ、余生
を京都の望洋庵で青少年司牧に身を捧げることを決意された
司教様。自分は骨の髄までサレジオ会員だと、サレジオ
会員としての喜びと誇りを語られ、生涯の最後まで若者と
共に生きたいと願う司教様の姿にドンボスコの姿を垣間見、
感動を覚えました。
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祝賀の余興でカリタス会からは「祝福の歌」をプレゼント。
サレジオの神学生たちや協力者会の歌、恒例ともなった
くす玉割り、シモンチェリ神父様の懐かしいアコーディオン
演奏も聴くことができ、とても家庭的な雰囲気の中で
サレジオ家族の喜びを分かち合うひと時となりました。
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開花宣言

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待ちに待ったツルバラが咲きました。
中庭にあるマリア様の前のアーチに
植えられたツルバラです。
なんて可愛らしい姿でしょう!
マリア様も心なしか嬉しそうです。
見頃を迎えたら、またお届けします。

壮大な神の計画

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第一朗読:使徒言行録13章13-25節
福音朗読:ヨハネによる福音13章16-20節

今日の第一朗読と福音に共通するのは、
イエスの死と復活によってもたらされた
神の計画のスケールの壮大さである。
神は気が遠くなるほどの年月をかけて
それを準備されたということである。

「…『私のパンを食べているものが、私に逆らった』
という聖書の言葉は実現しなければならない」と
イエスが言われたように、イエスは旧約時代に預言
されたことを成就していかれた。つまり、ご自分が
選んだ使徒たちの中に裏切り者がいることをはじめ
から承知していた。神のご計画は人知を超えるもの
であり、裏切りという悪を通して、救いの実現に
道が開かれたのだった。

神がいかに長年にわたって私たちの救いを計画し、
準備してくださったかが、第一朗読に書かれている
パウロによるイスラエルの歴史の総括によってもわかる。

「神はおよそ四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び…」
「これは、約四百五十年にわたることでした」
「神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに
救い主イエスを送ってくださったのです」…

神の私たちへの限りなく忠実な愛を思えば、日常に起こる
不快な出来事や難しい関わりは避けるべきものではなく、
イエスのように受け止めて思いめぐらす態度が必要なの
かもしれない。神のご計画を無にしてしまわないように。

信仰は恵

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ヨハネによる福音10章22-30節

今日の福音の中で、イエスは言われる。
「あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである」と。
なんとなく、違和感がある。
「あなたたちはわたしの羊ではない。私を信じないからである」
と言ったほうがもっと自然な気がする。
しかし、ここにイエスと御父との関係性が秘められている。
つまり、父なる神によって準備された魂だけが、キリストの
声を聞き分けることができるようになるのかもしれない。
誰もが、そしていつでもキリストの声に救いを見いだすわけではなく、
すべてのことには相応しい時がある。神が備えてくださる時である。
願ってもすぐには得られず、願わずとも与えられることもある。
信仰は恵なのだから。

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