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最後まで耐え忍ぶ者は

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マタイによる福音10章6‐23節

イエスは、後に降りかかる迫害に向けて
ご自分の弟子たちの心を準備させる。
「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」
「引き渡された時は、何をどう言おうかと心配してはならない。」
12人を前にして具体的に諭すイエスの親心を感じる。
イエスが王となって世を治めてくれると思っていた弟子たちにとっては
聞きたくない話ではあっただろう。
「私の名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。」
どんな思いでこの言葉を聞いただろう。

わたしたちも日々の生活の中で、目に見えない血を流すことはある。
肉体的な苦しみもそうだが、精神的な苦しみはもっとつらい。
特に、いつ終わるのか、なぜ苦しまなければならないのかわからない、
苦しみを分かち合える人がいない、そんな状況はもっとつらい。

イエスは言う。「最後まで耐えしのぶ者は救われる。」
どうせ苦しむのであれば、ただ耐え忍ぶのはもったいない。
誰かのために耐え忍ぼう。
自分よりも、もっともっと過酷な状況に置かれている人の為に。
余命を宣告された若いお母さん、
虐待されている無防備な子ども、
震災で愛する人を亡くし、立ち上がれないでいる人、
お金がなく、飢え死に寸前の独居老人…。
誰かのために捧げられた苦しみは、大きな価値があると信じる。

この世で飢え、渇き、迫害、裏切り、ののしり、鞭打ち、
最後には十字架上で死に渡されたイエス。
すべて耐え忍ばれたのは、人類を愛するがゆえだった。

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