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イエスの弟子になる

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ルカによる福音5章1-11節

今日の福音から人がイエスの弟子になっていくプロセスが浮かび上がってくる。
イエスの弟子になっていくというのは、ふさわしい時があるようである。
それは落ち込みの時、闇の中にあるとき。一晩中漁をしても、何も取れなかった
翌朝のシモンの心境もそうである。少し肩を落とし、何もかからなかった網を
洗っていた漁師たちの姿をイエスはしっかりと見ておられた。
今がその時だとでもいうかのように彼らに声をかけられた。
「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」

イエスの弟子になる次のプロセスは、その呼びかけに従ってみることが必要と
される。「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」
その通りにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになったとある。
暗く沈んでいただけに、その無償の恵みがどれほどありがたく、畏れ多かった
ことか。

ここで、次のプロセスがある。内的変化、自分の罪の自覚に伴う回心である。
「私から離れてください。私は罪深いものなのです」
思わず口をついて出た言葉だった。

そんなシモンにイエスはとどめの言葉をかけられたと思う。
「私についてきなさい」と。

闇の体験、呼びかけ、従順する姿勢、無償の恵みの体験、回心という段階を
経てイエスの弟子になっていく。それからの3年間が弟子たちの本格的な
学びだったと思う。
神の子となるためには、“まず勉強”という風潮がある。
しかしながら、まずは受け入れられた、恵みを受けた、ゆるされたという
体験があって、それから学びに入っていく。
これが今求められている福音宣教なのかもしれない。

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