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イエスの住んでいるところにとどまる、それで十分

ヨハネによる福音1章35節ー42節

今日の福音は、一見少々物足りないというか、
消化不良を起こしそうになる。
イエスの泊っておられるところに行った彼らが、
いったい何をしたかがまったく書かれていない。
どんなことをイエスと語り合ったのだろうか。
イエスと一緒に祈ったりしたのだろうか。
時間からして、おそらく夕食をともにしたに違いないなど、
想像の域をこえない。

しかし、何かあったはずである。
というのは、そのあと彼らは、今までの師を離れ、
イエスにつき従っていくことになるのだから。
福音の記者であるヨハネは、あえて根本的なことした記さなかった。

イエスが呼びかける。その呼びかけにこたえて着いていく。
イエスの住まわれるところを見、そこにとどまる。
それだけで十分だということかもしれない。
イエスと何を語り、イエスに何をしてあげられるのか。
そういったことはたいしたことではなく、
イエスのおられるところに共にいる。それが大事。

一日の終わりに聖堂に行く。
ときどき、何を祈っていいのか、
イエスに何と話しかけていいのかわかない時がある。
でもそれでいいのかもしれない。
イエスは、あまり多くのことを期待していないのかも。
ただイエスのおられるところにとどまるだけでいいのかもしれない。
今日の福音は、そんな安心感をくれた。

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