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2013年01月04日の記事は以下のとおりです。

新年会に行ってきました

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私たちにとって新年会とは、年の初めに毎年東京教区修道女連盟の主催する研修会です。はじめにイグナチオ教会の主聖堂で岡田大司教様司式によるミサがあり、スモールクワイアは聖歌奉仕をさせていただきました。上から眺める聖堂には、おびただしいシスターたちによって満たされ、圧巻でした。

ヨゼフホールに移動して、午前と午後にわけて中川神父様が「これからの修道生活」と題してお話し下さいましたが、非常に内容が深く、ご自身のエピソードを盛り込みながらのわかりやすいお話をしてくださいました。
社会から「遊離」することなく、けれども今の世を特徴づけている消費主義、相対主義から「離脱」しながら、キリストに徹底的に懸けて生きて行きたいとの熱意をよびさまされたような気がします。年の初めに霊的なお弁当をたっぷりいただいて帰ってきました。また、こういったときにしか会うことのない他の修道会のシスターたちとの再会を喜び合った一日でした。神に感謝。
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イエスの住んでいるところにとどまる、それで十分

ヨハネによる福音1章35節ー42節

今日の福音は、一見少々物足りないというか、
消化不良を起こしそうになる。
イエスの泊っておられるところに行った彼らが、
いったい何をしたかがまったく書かれていない。
どんなことをイエスと語り合ったのだろうか。
イエスと一緒に祈ったりしたのだろうか。
時間からして、おそらく夕食をともにしたに違いないなど、
想像の域をこえない。

しかし、何かあったはずである。
というのは、そのあと彼らは、今までの師を離れ、
イエスにつき従っていくことになるのだから。
福音の記者であるヨハネは、あえて根本的なことした記さなかった。

イエスが呼びかける。その呼びかけにこたえて着いていく。
イエスの住まわれるところを見、そこにとどまる。
それだけで十分だということかもしれない。
イエスと何を語り、イエスに何をしてあげられるのか。
そういったことはたいしたことではなく、
イエスのおられるところに共にいる。それが大事。

一日の終わりに聖堂に行く。
ときどき、何を祈っていいのか、
イエスに何と話しかけていいのかわかない時がある。
でもそれでいいのかもしれない。
イエスは、あまり多くのことを期待していないのかも。
ただイエスのおられるところにとどまるだけでいいのかもしれない。
今日の福音は、そんな安心感をくれた。

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